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宣伝動画動画です。

戯式vol.8の宣伝の動画です。
そして是非ご予約を


https://youtu.be/N3BTLEZ_tKg
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娘の成長と私の老化

話の始まりは娘の歯の矯正の話からだった。もう四年ほど前になるか、歯医者に娘をつれていった私は思いもよらないショッキングな話を聞くことになる。当時すこぶる歯並びが良かった彼女が僕は自慢で、というか嬉しくて歯医者の先生にも自慢げに「そうなんです、僕に似て…」などと冗談で言ったのだけれども、歯医者さんはあんまり晴れやかでない笑顔で「ええそうですね。そして今これだけぴっちりと奇麗に歯が並んでいるということは、将来、まちがいなくこの歯並びが崩れてくると言うことなんです」

つまりはこうだ。後から生えてくる永久歯は、それまでに生えている乳歯よりも、一回り大きい。同じ数の歯が「小さいものから大きいものに移し変わるのであるから、小さいのできっちりと収まっている空間に、それは収まり切らず、必ずや乱杭になるであろう」と。
添え合わせて「基本的には100万円ぐらいかかります」と。歯の矯正ね。ふーん…。

結局一人娘だし、やってあげたいのでやるわけなんだけれども、発覚からこれまでの間、ネットで調べたり、セカンドオピニオンの歯医者にいってみたりしながら、矯正をスタートするタイミングを計っていた。その中で、行きつけの歯医者さんと気持ちの行き違いが生まれたりして、どうにもめんどくさい。そこの先生は小児歯科の専門ではないけれどその分野に強く、それ故、矯正医療に関しても強い信念があるようで「いずれやると言うのならば、早めに始めなさい」という立場だった。僕がそれにちょっと待ったをかけて、ここまで粘った経緯がある。僕が待ったをかけたのはいわゆる「早期の段階の歯科矯正はやめた方がいい」という立場の歯医者さんたちがいて、そういう協会もあるということを知って調べたから。それで別の歯医者の意見も聞いてみようと他の所にいって、もう一度その行きつけの先生に「こういう記事もあり、こういう考え方もあるそうなんですが、彼らは何故にそう言っているのでしょうか?先生との違いはどこにあるのでしょうか?」と結構、丁寧に聞いたつもりだったのだけれども、彼(=先生、おそらく六十歳なかばかと)にとったら「『金儲けしようとしてるやろう』と疑われた」と、感じたんじゃなかろうか。すごく感情的になってしまって「好きにしたらいい」と。ちがうんだけどな…。こっちは全く無知蒙昧の素人なんだから、結局専門的なことはわからない。だからこっちが気になること「なんの為にやっているのか?」「いつぐらいまでかかるのか、メドの分かるものなのか?」とかいう疑問に「つき合って説明してくれる」ことだけを求めている。正直その説明の正誤はこちらでは検証できない。だから欲しいのは「説明しようとする姿勢」で、それがあるお医者さんとつき合ってゆきたい。それだけなのだが…。妻は既に歯医者、変わることを心に誓っているそうだ。ひさびさに行って「そろそろ始めようかと思う」と伝えると、「手遅れですね」って言われたって。それはちょっとひどいよなあ…。

ま、いずれにせよ、そろそろ始めるにあたってもう一回下調べしましょうと言うことで、以前からレントゲンに映っていた「謎の白いもの」の正体を大きい病院でCTで調べてもらうことになり、それがビンゴ!というかなんというか、「出来損ないの歯」、(「余剰歯」というらしい)だと言うことが判明。親知らずよりも更に多い歯だそうで、放っておいて今すぐ悪くなるいうことも無いが、「いずれは手術をして取らないと、アサッテの方向に歯が生えてしまうだろう」というまたもやありがたくない予言をいただいたわけです。

で、「一晩か、場合によっては二三日の入院」を考えると冬休みが良かろうということになり、ただ今手術中です。
娘が幼いこともあるので、全身麻酔のほうが良かろうと言われました。それもおっかないんだけど。部分麻酔で意識があるなか、自分の口の中切られて、血が出て、歯を削られて、って、俺でも耐えられないと思うから、それでお願いしまして。

泣くこともなく手術室に消えていった十歳の娘を見て、本当に成長したのだなぁと実感している今現在です。
あ。もう始まってるのかな?全身麻酔って呼吸が止まるんだそうで、人工呼吸器をつけられてるはず。
かわいそうに。っていうか意識が無いなら大丈夫か。主治医の先生は「40〜50分で済む」とおっしゃっていたが、さっきから中央手術室の自動ドアが開く度に見てしまう。
僕の人生の時間が後どのぐらいあるのか。「娘の手術終了を待つ」体験は、なるべく数少なく済ませたい。

Fジャパン論

初めて出会ったのはおそらく17、8年前なのだと思う。当時僕が所属していた劇団衛星の公演に彼が出演することになったのだ。それを機に彼は劇団衛星に入団することになる。僕は彼のことが嫌いだった。すぐに彼のような人間を引っ張ってくる蓮行さんも嫌いだった。何よりも、舞台演劇に出たこともないし勉強したこともないし、そもそも芝居に興味もなさそうなこの小デブのぶきっちょさんが舞台上で1番輝いてお客さんにうけて、受け入れられていることが許せなかった。僕の稽古場と舞台上での努力は、彼の先天性の間の悪さと、おもしろハプニングをなぜか惹きつける磁力によって打ち砕かれ、踏みにじられた。僕の人生の中であれほど激しく嫉妬した事は無いと思う。「炊飯器を竹刀で叩く」というパフォーマンスは、最初期から今に至るまで彼が折々行なっている、いわば彼のトレードマークだ。それに顕著なように彼は「奇をてらっている」だけだ。と、当初、僕はそう思っていた。しかし付き合いが長くなるとそうではないことがわかってくる。彼は「奇を〈てらってる〉」のではなかった。「奇」だったのだ。彼の存在自体がトリッキーなのだ。〈てらう〉必要がない。
そう気がつくと、彼への憎悪は薄らいでいった。やがて仲良くなりその関係は今でも続いている。僕は彼を信用する。彼には哲学があるから。演出家も、作家も、照明家も、作曲家も、美術家も、俳優も。哲学が無いとダメだ。話にならない。哲学とは「なんで?」と問うことに他ならない。「なんでこのセリフなんだろう?」「なんでこの音なんだろう?」それが集まったところ。あるいは逆にその源泉に「なんで私はここに立つのか?なぜここでで声を発するのか?」「なぜ照明家なぞしておるのか?」という問いが存在し、さらに彼方の「なぜ私は私なのか」「世界とは何か」「存在するとはどういうことか」とつながっている。
哲学は「自分に対しての居心地の悪さ」に端を発する。自分は自分であるのに、自分でしかあり得ぬのに、拭い去れず感じる「座りの悪さ」。彼こそ本当にその「自分に対して違和感、収まりの悪さ」に取り憑かれた者ではないかと感じる。だから彼の芝居には哲学がある。だから僕は信用している。
誤解がないように付け加えると、僕は「なぜFジャパンが、Fジャパンなのか?」ということに関して寸毫の興味もない。原理的にいって「本人が本人である意味」に、他人はどんな形であれアクセスしようがない。だからどんだけ悩もうが問おうがそれ自体が美しいわけではない。それどころか大体うっとおしい。こっちはどうでもいいのに勝手に苦しんでるのを見せつけられるのは、一義的に迷惑な話だ。
哲学は美しくない。どころか往往にして迷惑だ。しかしそれがないと話にならない。どういうことか?それはきっと椎茸の原木のようなものじゃないだろうか?芸術が生まれるタネとなるような、素敵なアイデア、神託のようなひらめき、センス。でもそれだけだと「美しく」はならない。
自分の在り方を問い続け、悩み続ける身体が「原木」としてそこにあり、神託=菌が着床して初めて、そこに椎茸みたいな信じられない形の「美しさ」が生えてくるのではないだろうか。

今日から始まる彼と合田さんの二人芝居には期待をしている。もう一度、僕は彼のことを嫌いになるかもしれない。それほどの「美しさ」が現象しえる、その可能性がある舞台だ、ということは断言しておく。

なんでこういう文章を芝居の本番の当日にアップしているのか?タイミング遅いじゃないか。これも嫉妬のなせる技か。(ごめん)

もういくつ寝ると

とにかく少しずつでも前に進むしかない。

と言うような思考にどうしてもなれない。後ろに戻っても横にそれても良いじゃないかと思ってしまう。
多分これは昔からそうで、歳を取った今、ようやくなんと言うかフィットしてきたのかもしれない。年齢と精神が。威勢のいいことや極端なことを言うのが苦手で、だからそういうことを言えちゃう人に憧れてマネもしてみた気がするがことごとく失敗して恥ずかしい思いをした。ように思う。

時間は本当に「動く歩道」のようで、そんなものぐさな私を、今年も師走まで運んでしまった。オショウガツやなんて来なくていいけどな。
とはいえ準備にぬかりは無く、年賀状もプリントアウト完了した。クリスマスプレゼントも買って隠した(車を所有せぬ低所得者のクリスマスプレゼントの隠し場所はなかなかになやましいのだぞ)。自分と奥さんへのクリスマスプレゼントにプロジェクターとDVDプレイヤーを買った。

つまり来年の戯式vol.8の制作から力一杯逃げている。
滅多に書かない、書きたくもないブログを書くほどに、逃げている。

が。

来週には「道案内」と「重なる朝」を思い出ししてしまい、年末正月で新作を作ります。ルーパー二本つかった「田中会議」にする予定です。

戯式vol.8お楽しみです。ご予約受付始まってます

http://www.syoujikimono.net/gisiki/top.html

明日から韓国いってきます。

「日本難民」が終わって、バタバタしているうちにあっというまに12月。というわけで、明日から韓国に行ってきます。

「東アジア文化都市」というイベントが去年から始まりました。僕も詳しくはないのですが、何しろ日中韓の三国、それぞれ一都市を会場として文化交流が行われるというイベントでして、日本は去年が奈良で今年が京都でした。芸術センターや二条城などでも展示があって、京都の皆さんは「あー、あれね」という感じかもしれません。京都での会期は終わり閉会セレモニーも済んでるのですが、今年の韓国の会場である大邱(テグ)での閉幕式典に派遣れます
「日本の芸能団」の一員として、私、田中遊、その末席を汚すこととなりました。
https://culturecity-kyoto.com/about_daegu/

まぁいうたら閉会式典の余興といいますか、そういうものです。日本からは狂言のチームと、地唄&生け花(のコラボレーション)チーム、とそして現代音楽チームが参加します。



そうですよね。私、どのチームにも居場所なさそうなんですけども現代音楽チームに呼んでいただきました。
ピアニストの中村啓介さん
作曲家の増田真結さん
そして
声:田中遊
という組み合わせです。

どんなことしてるの?って言われて、スッとはよう答えられない、けったいなものが出来上がっております。もちろん韓国の方々に日本語は分かりませんので、その意味で気楽っちゃあ気楽ですけど、なんせ「音楽」ですから、ええ。門外漢の私に手を焼きながらも、お優しいお二人に助けられてなんとか無事に役目を果たし日本に帰国してきたいものです。

思えば今年は二月にモノクローム+kinseiさんのダンスの公演の末席を汚し、そしてまた年末に現代音楽に関わらせてもらうと言う、幸せな一年でした。
これも「けったいな俳優」としてけったいなことをこの歳まで続けてきたおかげかなぁと思うと、感慨深いものがありますねぇ。
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