京都俳優ラップの会

私が「日本語ラップ」という当時未知の世界をこわごわ覗き込んだのは三十八歳の秋だった。その年と、その二年前にkunio(演出家、杉原邦生さんのプロデュース公演)の舞台でご一緒させてもらった池浦さだ夢氏にお誘いいただき、彼が主催するダンスカンパニー男肉 du Soleil団長のイベントに出演させていただいたのが始まりだった。
「できます。大丈夫っすよ!」
と笑顔で言う団長(池浦さん)を決して信用したわけじゃなくて、単純に興味があったから誘いに乗っかってみた私は、その年の12月、年末の男肉 du Soleil団長のイベントで大恥を書くことになった…。

ラッパーの存在も知っていたし、日本語ラップの存在や、そのなんというか複雑な成り立ちについても、うっすらは興味を持って遠くから眺めていた。しかしまさか自分がラップをする何んてことは想像だにしたことがなかった私が、マイクを持って人前に立つ日が来るなんて…。
あの日から4年以上の時間が経過した今、相変わらず私のラップの腕前は上達しているとは言いがたい。それはそうだ。気が向いた時に20分だとか30分だとか練習するぐらいで、何とかなるような甘っちょろい世界ではない。
そうなのだ。その「無茶苦茶シビアだな、おえ!」という世界を感じてしまったからこそ40歳手前にして、私はラップに引き寄せられてしまったのだった。

発足当初は月に一回だった京都俳優ラップの会も、最近は三ヶ月に一回、ひどい時には半年に一回の活動になっている。しかし。しかし私はそれはいいことだと思う。だって、男肉 du Soleil団長も、壱劇屋も、本業が忙しい(壱劇屋の座長、大熊さんもメンバーなのだ)ゆえに、ラップの会を開催できないという事情なのだから。
僕もそれぐらい忙しくなりたい!!!

のに何故か、この二週間ほど、猛烈にラップの稽古ができた自分がいいんだかわるいんだか…。

とにかく今夜!見せたい成果!

今でしょ!

四月の頭にはぽかぽか陽気が続いてすっかり油断していた所に戻って来た冷え込みで、普段からトンチンカンな服装が一層、収集つかない。今朝も奥に仕舞ったダウンジャケットを引っ張り出して来て出勤したけれど、昼間には汗だくになって長袖を肘までまくっていた。それでもまた肌寒くかんじる聞こうではあったけれど、私は公園のわきに車を泊めて窓を開けて運転席でお弁当を食べていた。サクラもすかり散った公園は、濃い緑の葉が勢い良く茂っている。近くの幼稚園から散歩に来ている幼児と先生たちが歌を歌っていた。
私はふと思い出した。そうだ!昨年の秋に買ったウルトラライトダウン。言わずと知れたユニクロの売れ筋商品だ。あれどこ行ったっけ?正にあれじゃないか今の私に必要なのは!ウルトラライトだけあって相当に薄いけれど、バイクに乗るようなことでもなければそこそこ暖かいし、クルクルと巻き取ればコンパクトに鞄の中に閉まっておける。あれだよあれ!私はなかなか見つからなかったジグソーパズルのピースがはまったような感じがした。しかし危ない所だった。あやうく「あいの季節用」に買った服を思い出せないままあいの季節を通り過ぎる所だったのだから。生来の貧乏性で「いつか使うだろう」と物を捨てずにとっておくくせに、その「いつか?今でしょ!」のタイミングで忘れているというボンクラぶりに自分ながらあきれてしまう。

デモで可視化されること

京阪中之島駅から地上に出るともう雨が降り始めていた。僕はリュックから真っ赤な折り畳み傘を出して歩き出した。「うつぼ公園」という字面はTwitterなどで大阪で行われるデモの情報で何度も見ていたけれど実際に足を運ぶのは初めてだ。「靭公演」Googleマップで検索するとなんだか難しい漢字が出てくる。本当にこれであってるんだろうか?と不安になりながら、小雨の中、現地へ向かった。
僕の想像よりも随分と大勢の人が集まっていた。元気のいい人たちは国会前に行ってるだろうし、しょんぼりしてんじゃないかなぁ…と想像をしていたのだが、いやいやなんの。でもすぐに「これは「京都」と「大阪」の比較でそう感じただけなのだ」と気づくことになった。たしかに「歩いている人たち」も多い。けれど「歩いていない人」も勿論京都の比にはならないぐらい大勢だ。京都よりも随分たくさんの人数の人間が歩いているのを、京都よりも随分たくさんの人数の人間が「関係なく」見送っていた。比率は多分変わらない。その行列の中、相変わらず僕は一人で、話しかける人もなく、連帯する気にもなれず、浮かない顔をして、でも共にミナミまで歩いたのだった。

私がデモにいく事にことによって、あなたが「頭数」になることによって可視化されることがある。というのは事実だと僕は思っている。「私たちは怒っている。困っている。」ということ。そう思っている人間がこの社会の中にある程度の数いるのだということが、不幸にも(苦笑)そのデモに出くわした人や、あるいは報道で知った人に見えるようになる。それは確かなのだろう。
ただ、その「社会への可視化」と同じかあるいはそれ以上に重要な「可視化」がデモにはあると感じている。
それは「自分への可視化」だ。その行列に加わって、その中からで無いと見えない景色がある。
その渦中でしか考えられないことがある。数メーターおきに拡声器を持った人や車がいてシュプレヒコールをする。ナイーブな僕はその都度選択を迫られる。
「アベはやめろ」は同意できても
「松井も維新も同罪だ!」というのには手続き無しには乗れない。
辺野古の話は全く不勉強なので、申し訳ないがペンディングさせて欲しい。
「アメリカはシリアへの攻撃をやめろ!」に関しては、ちょっと脊髄反射だろと。も少し考えない?と思う。
前後のシュプレヒコールの主導権争いみたいなのとかも、失笑してしまう。でもちらっと周りを見てみると僕と同じように浮かない顔して一人で黙って歩いている人は結構いるのだ。
自分が「社会の一員であること」とか「他人と意見がぴったり全て合うなんてことはないこと」とか「でもすり合わせてうまいことやっていきたいこと」とか「是々非々という声は常に白黒はっきりした声に負けること」や「大きな声を上げること、即ち旗色を鮮明にすること」なんだとか…。

デモの中にいて、シュプレヒコールを浴びながら、行列の外側からの目線を受けて、警察に守られながら歩いていく。その時にしか考えられないこと、感じられないことがあります。少なくとも僕には。

何かの正解が見えるということではありません。第一義的に「デモで可視化される」と言われるものと同じで「課題があるということ」が見えるということです。
自分の中に、自分の思想に、どう言う課題があるか、ということがデモに行くと可視化される。人もいる。という話です。

小栗旬にあって私にないもの

「またブログを書いてみようか」と僕が決意したのは今年の初めだった。生来の先延ばし体質がたたって、ようやく四月に入ってから1~2日に一度の頻度でブログを書いている。文字数にしたら「もうTwitterでいいんじゃないの?」程度の短いものではあるけれども、文章を書く習慣、訓練にはなっている(と思いたい)

もともと僕が何故ブログを始めたのかと言うと二つ理由があった。
一つはお芝居の宣伝の為。僕のブログを何人が読むというのか?と言われる恥ずかしくなるけれど、インターフェースは大いに越したことがない。たった一人でも何かの拍子で記事を目にしてくれてそこから興味を持ってもらえる可能性がゼロでないならやった方がプラスであるに違いないことは否定できない可能性が高いんだからほっといてくれよ。
二つ目は、「文章を書くコンディションを整える」為だ。僕は大学を卒業してから、「年に何回か台本を書く生活」を送ってきた。僕にとってその執筆の毎回毎回は「とんでもない」ことだ。いつになってもいくつになっても慣れることなんてない。毎回奇跡のようだと思う。本当に毎度迷って、苦しんで、流されて、気がついたら、見たこともない所に漂着している(笑)

僕にとって台本を書く作業は熱病に似ている。書いている最中は、なんだかわからない、それこそウイルスのようなものに取り憑かれたように、苦しくて、頭がぼーっとして、でも、その佳境では、もう勝手に手が進んでいく。自分が考えてたなんて思えない展開や景色を作り出していく。
そして書き終えると、熱が冷め、「いったいこの台本を僕はどうやって書いたんだろう?」って、本当に、本当に思う。思い出せない。

しかし毎回「フィーバー」するまでには相当の時間がかかる。風邪の場合でもグワッと熱が上がってしまえば、モウロウとして感覚も思考も鈍り「楽」だと感じる。比して微熱の時の方がしんどいのだけれど、台本書きもそうで、乗って来たらもう「これ書いてから死ぬ!」というようなハイに入るんだけれど、そこまで温度が上がるまでがとてつもなくしんどいのだ。
そしてまたその「微熱時」というのは、家族からみれば実に印象の良くない状態なのだ。
「フィーバー期」はそれこそ、話しかけても返事もしないし、朝方までブツブツ(台詞)カタカタ(タイピング)うるさいかと思えば、「あー!」とか叫んで二日ほど帰って来ないこともある。これぐらい分かりやすくアンタッチャブルなら妻にしても娘にしても諦めもつこう。しかし「微熱期」の僕はあきらめがつかない。妻や娘にすれば「微熱期の僕」は、ただの「辛気くさい、飲んだくれのおっさん」なのだから。正確にいうなら妻や娘にとってだけでない。その時の僕は全方位的に「ただの辛気くさいアル中のおっさん」なのだ。

その「処置無し期間」をいかに短く切り上げるか?に僕が今後どこまで演劇を続けていけるかがかかっていると言っても過言ではない。なるべく早く「フィーバー」に入らなくてはならない。より短い時間で最高速まで加速する為にはどうすればよいか?車やバイクの暖気運転のように恒常的に文章を書いておればいいのじゃないだろうか…?
と考えたのだ。

僕がブログを始めたのは、アイドリングストップなんて言葉すらなかった昔の話だ。ガソリン代のことなど気にもならなかったのだろう。ネタなんてとっくに底をついてる。面白そうだと適当なタイトルだけつけて書き始めても何キロも離れた地点に不時着してしまうのがオチだ。

帰るべき所

夕方。久々に僕は京都芸術センターに行ってみた。最後に行ったは、一人芝居「戯式vol.8」の稽古だから2月の頭だ。2月、3月と二ヶ月間ほど足を運ばなかったことになる。仕事終わりで、家には帰らず直接アートセンターへ向かった。到着して原付のエンジンを止め、門柱にかかったプラスチックのチェーンを外して、原付を押してあるいて進む。二ヶ月ぶりにその敷地の中に入ると「帰って来たなぁ」と思った。

来なかった期間はたった二ヶ月だ。その来なかった間はなんとも思っていなかったのに、こうして来てみるとなんだかえらく長い間来ていなかったような、そんな感覚を僕には感じた。そう感じている自分が少し不思議だった。でも考えてみれば当然かもしれない。とにかく去年、一昨年の二年間の僕は、本当に毎日芸術センターに通うような日々を過ごしていたから。自分の企画がないときも、俳優で出演する他人の企画の稽古があった。それらが隙間なくビッチリとうまっているような状態だったのだから。

出演のオファーが来ないのは辛いものだ。しかし一方でじっくりと時間をかけてラジカルに作品と向かい合える機会でもある。久々に「根っこ」の方まで降りていてみよう。僕は原付のスタンドを立て、ヘルメットを閉まって事務室へと向かった。「演劇で何を成し遂げたいのか?」。帰るべき所。どこかから「おかえり」という声が聞こえた気がした(嘘)
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