笑うしかない

昨夜の夜中。片付かない仕事を一旦端に寄せて私は風呂に入る事にした。服を脱ぎ、カゴからバスタオルを一枚取って風呂場に入った。お湯はまだ温かかった。掛かり湯をして「あー」と声を出しながら湯船につかった。顔にお湯をかけて洗い、いつものように電動歯ブラシを口にくわえて、うとうととしながらも仕事の打開策について考えていたその時、ぐらぐらっっと団地が揺れ始めた。余震だ。私は揺れる浴槽の中、真っ裸で少し笑ってしまった。「正常化バイアス」とかいう難しいことではないと思う。掛け値無しで「笑うしか無い」状況というものは人生の中で少なくない回数遭遇するものだ。私はそれが昨日だった。そういった時に実際に笑うのかどうかには個人差があると思うが…。

地震警報

その時私は車に乗っていた。早朝六時半からの食堂のヘルプから、本社に戻る途中だった。自分のスマートフォンと会社から支給されている折りたたみ携帯とどっちが先になったのかはわからないが、二台分のアラームが軽自動車のなかでけたたましく響いた。突然の事だったので(当たり前だ。警報が鳴るのはいつも突然だ)私は急ブレーキを踏む事こそ無かったがそれでもそこそこ驚かされた。地下鉄や電車の車両内で何十個という携帯電話が同時に響き渡った時の恐怖は想像にあまりある。私はスマートフォンの表示を確かめた。「強い揺れに備えて下さい」。多分正解は「道の端に車を寄せて停車する」だ。ちょうど先の信号が赤になり車をゆっくり停車させた。窓から辺りを見回してみると、私の周りでも同じように様子を伺っているドライバーや歩行者がいる。集団登校の小学生の姿も見えた。やがて信号は青に変わった。ここまで何かが起こる気配はなく、車の列はおそるおそる前進を始めた。大した事は無かったのだろう、と高をくくって本社へと再び走り出した。次の信号待ちで私はスマートフォンのTwitterアプリを立ち上げた。こういう時の即時性はやはり強い。フォローしている数人が既に「怖かった」「強く揺れた」などとコメントしていた。実のところ私は揺れを一切感じていなかった。勿論私が鈍感だという事は否定できないしするつもりも無いが、車の運転中というのは常時ある程度揺れているものなのだろうと思う。だから私はTwitterを見ていてもその時点ではそれほど大事だとは思っていなかった。帰社して同僚たちの平常ならざる顔色と態度に触れてからようやく「大きい地震があったのだ」と認識し、家族と連絡を取ってみた。電話ではなくLINEにしたのはあるいは正解だったのかもしれない。本社はガスが止まってしまい、弁当工場である我が社は午前中偉い事になったわけだけれど、本社や、他の配送員との連絡しようと携帯電話をかけても繋がらない事が多かった。くらべてLINEは無料通話もスムーズにできた。てんやわんやの午前中の配送をなんとか終えた私は昼休みに、壁の下敷きになってしまった少女のニュースを知った。同じ年頃の娘を持つ身として、ただ、言葉を失った。

私は狭い湯船の中、足を折りたたんで湯にに浸かりながら電動歯ブラシのスイッチを入れた。歯ブラシは持つ柄の部分が太くできていて、ちょうど十円玉を重ねた束ぐらいの筒型をしている。その真ん中あたりに緑色の電源ボタンがあり、それを押すと歯ブラシは振動し始め、二分たつと自動でスイッチが切れる仕組みだ。私は歯ブラシを咥えてそれを口の中でゆっくり移動させる。風呂に浸かりながらぼんやりやっているものだから二分間では上下全ての歯を磨くことができない。いつもそうだ。どうして二分間で切れるのか?もちろん切り忘れによるバッテリー上がりの防止だろう。ではなぜ「二分間」なのか?誰かから聞いたのだが、「一度の歯磨きにかけるべき最低の時間」というのがそうなのだそうだ。1日に二度ほどそうして「二分間」歯磨きをすることで、歯は「最低限」清潔に保たれるらしい。真偽はともあれ、私にとって二分間は短かった。とても短い。だいたい三度ほどはスイッチを入れなおすから、だいたい8分間は歯ブラシを口の中に入れているのだ。歯茎がマッサージされるのが気持ちいいからだと自分では思っているが、案外そうではなくて、タバコや、ペロペロキャンディや、おしゃぶりの代わりになっているのかもしれない。

この夏のご予定は?

私は明日のワークショップで使う為の小道具を買いに近所のショッピングモール「モモテラス」に行った。昨年六地蔵のイトーヨーカドーが無くなったのは結構なニュースになった。そのおかげというわけでもなかろうが、残ってリニューアルしたこちらはとてもにぎわっていた。土曜日の午後だからこれで当たり前なのかもしれない。建物入口から少し入った所にある、三階まで吹き抜けの広いスペースが催事場になっている。子供向けの商品がごっそり盛られたワゴンがいくつも並んで、その隙間を家族連れたちが密着しながら回遊していた。夏の旅行用だろう水着や海輪を物色しながら楽しそうに相談する様子は見ているこっちが幸せな気分になる。催事場を横目に見ながら店の一番奥にあるダイソーへと歩いた。私はこの二ヶ月ほどダイソーやcandoといった百円均一ショップでやたらと買い物をしていた。月に平均すると多分2000円ぐらいは使っている。「安物買いの銭失い」とは私の為にあるような言葉だと思った。

風通し

二十二時。京都芸術センターでの稽古からバイクで帰宅した私は、団地一階のポストの中を確認してから階段で五階まで上がった。背負っているリュックにはパソコンと書類と着替えと、帰りにスーパーに寄って買ったビール缶(350mlの六缶セット)が入っていてとても重たかった。五階の我が家の玄関前にたどり着くと部屋の中から映画のものらしき音声が聞こえていた。借りて来たDVDでも見ているのだろうか?カギを開け手荒いうがいを済ませて部屋に入ると、娘が一人でテレビを見ていた。ウサギの警官が主役のアニメーション映画だ。娘と私と二人で劇場に見に行ったのも記憶に新しい。私の顔を見るなり娘は「ナマケモノのシーン終わったで」と教えてくれた。確かにあれは面白いシーンだった。

私はニューヨークに一度だけ行った事がある。大学の卒業旅行で仲間と一緒に行ったのだから、二十一歳の時になる。随分昔の話だ。黒人がいて、白人がいて、チャイニーズがいて、スパニッシュもいて…正に「人種の坩堝」だ。と感心したものだ。日本に帰国して空港から自宅に戻る電車の中で、「乗客がほとんど全員日本人であること」に猛烈な違和感を感じたのを覚えている。その違和感というのは言い換えれば「私が生きている場所は世界の片隅である」という実感だろう。
「世界の片隅」は「世界の中心」や「人種の坩堝」なんかよりもよっぽど風通しと見通しの良い場所に違いない。とウサギの警官の声を聞きながら私は思った。
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