Hi!Position!のコトだとか。

土曜日。
休み。予定では土曜日が昼まで仕事で日曜が休みのはずだった。

勿論土曜日は三重の劇団Hi!Position!を見に行って、その後打ち上げで痛飲して。
そうだ、絶対終電は乗らないんだから、自転車で行こうだとか。いろいろ考えてたんですが、全てのもくろみががらがらと崩れさる。

結局、パソコンの作業をしこしこして、奥さんのワインをちょびっと(?)もらったりしながらもう夕方。
チャリンコでイサンまで。

いや、本当に。禁煙ってすごいなぁと思いました。息があんま切れない。
これまでも、特にあったかい時期は、山越えて「市内」まで出て行く事は、あ、自転車でね。あったんです。でもね、もう、はぁはぁいいながらだったような記憶があって。
今回そうでもなかったんですよね・・・。
チャリンコ始めたいんでけどもね・・・。クロスバイク?っていうんですか?あれね。

でも、実際問題考えるとちょっとね・・・。朝五時半から自転車のって職場に行って、夕方まで働いて、そこから稽古場までまたチャリンコで、稽古10時に終わってから又チャリでってのはね・・・・。ってあれ?この話、最近書いたな・・・。

ま、そんなで、拝見致しました。
劇団Hi!Position!

「単純に多いもの」
正解は

「ボタン」でしたね。
そういやそうですよね。多い。うん。
「ボタン」ってなんだろうかしら?

「ボタンを押す」という入力に対して、大体場合「突飛も無い」出力を提出するもんだ。
ですよね。
エレベーターのボタンをですよ、「人差し指で、押す」
という入力に対して、
「人を何人も乗せた鉄の箱が十何メートルも上昇する」
とか。冷静に考えると突飛も無い。

風吹けば桶屋が儲かる。
上海でチョウチョが羽ばたいたら、ニューヨークで、どうちゃらとか。
ワラシベ長者とか。
複雑系とか。

いや、それは「経験」として理解はしてるんです。
二階へ行くボタンを押すと、エレベーターの扉は閉まって二階へ運んでくれるんです。
でも、それが、果たしてどう言う仕組みでもってそうなるのかと言う事については、これはもう専門家でないと説明ができない。いわゆる「ブラックボックス」がそこにはあるのです。

私たちはきっとボタンを押す。
そこにボタンがあったなら。
それはなぜかと考えると、つまりは、「どんなものが出力されるかわからない」からだろう。

そう考えると、この世のボタンと言うボタンが「魔法の箱の鍵」の様に思えて来ませんか?(笑)
来ませんか。そうですか。残念です(笑)

それこそもう14、5年暖めているネタがあります。
「暖めている」というと聞こえはいいのですが、なんのことはない、「映像向き」のネタなので、出番が来ないだけなのですが。
それはエレベーターのボタンのネタで、またいずれお目にかけたいと思っているのですが・・・

・・・・・

ボタンの話はさておいて。お芝居の方はというと、すこし物足りなく感じてしまいました。

俳優さんの単純な声量や、元気(?笑。これはあとから「緊張しまくってました」と伺って納得)も足りなく思いましたけれど、もっとも足りないのはなんというか、

「潜水能力」

と言うようなモノじゃないだろうか。と。
そんな話を打ち上げの席で油田さんにお話したり。

台本。
そこにかかれている言葉。
は「水面」であって。
俳優の作業はそこからできるだけ深く、また広範囲に潜って、「何か」を掴んで水面に上がってくる事だろうと思うのです。
海女さんですね。ジャックマイヨールでもいいですが。

水面をいかに整えるか。というところが最終的な目的です。これは間違いが無い。結果として表出される「上っ面」。観客が触れる「水面」。
しかしながら、「その水面」に現れるまでに、その海女さんとジャック(ス、?ソン?ジャクリーン?だっけ?わすれた)がどこまで潜って来たか、によって、その水面に現れる模様は違ってくる。これは、本当に違う。その「違い」は「立体感」と呼ばれたり「リアリティー」と呼ばれたり「具体性」と呼ばれたりする。つまり「うまく口では言えないけども、違う」というような感じでお客さんに伝わる。

・・・・・

今回ので僕が好きだったエピソードは、「マジシャンの話」だった。
あそこに、本当に「死の匂い」があったら。「親戚、兄弟、夫婦の匂い」があったら。それと「鳩の羽ばたいたときの、なんてーのかな?誇りっぽさ」と、そして「マジック」というモノが混ざると、なんだか、とっても奇妙で素敵な「世界」が立ち現れたんだろうになぁ・・・。と、思ったり。


床に散らばったボタンを、意味があるのか無いのか、押して行くというシーン。
ジャックと、ジャックスと、・・うん。やっぱり思い出せない。ジャック、なんとか。
の三人。
クラウン(ピエロ、道化師)の様でもある。

彼らが一体なぜ、ボタンを押すのか?なぜそんなに嬉しそうなのか?なぜ単語を入れ替えただけの、内容は同じ台詞を繰り返すのか?
例えば、「彼らは兄弟なのである」とか、例えば「少し狂った人である」だとか。例えば「実は同一人物なのだけれども、多重人格の症状があり、その人の脳内の風景である」だとか。
そんなことを考えるのは、ちょっとナンセンスに思える。理由なんてなくてもいい。整合性や、「説明がつくこと」。またバックボーンとかは、必要なときもあれば、必要じゃないときもある。

だろうと。

確かにそれはそうなのだ。
けれど。一ついえることは。

私たちは、目の前に小さな円板が浮かんでいた時に。びっくりする。

が、
その円板が浮かんでいるのが、マンガの中であれば、びっくりはしないのだ。

私には全くわからない。何で小さい円板が目の前に浮かんでるのか?でも、「私にわからない理屈」でもって実際に円板は目の前に浮かんでしまっている。
という事実に、びっくりするし、感心するのだ。

イサンに集まったお客さんの誰一人もわからない。(多分、わかってはいけない)「理由」「理屈」が、ジャック達に無ければならない。ジャック達だけにわかる理屈、理由。
が、それでも「確かにある」
ことによって、しか、あの手のシーンは機能しない。

つまりそんな時に俳優の作業と言うのは、とっても、むずかしく、それだけに楽しいことをするのだけれど・・・・。


また、いつか。
ほんとうに、夢みたいな話だけれど。
またいつか、こうして知り合えた人たちとも、一緒にお芝居がしたいものだと思う。


・・・・

今からラボ。

なんやかんや、エンジン点火していかないと、まずいですよ!はい。






コメントの投稿

非公開コメント

twitter
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
リンク