恋愛論4


想像力が枝分かれするような場面。
わかりやすくプラスマイナスで。分かれ道は二股にわかれてるとして。

「うける」「すべる」
「合格」「不合格」
「商談成立」「破談」
「罰金、減点」「セーフ」
「生きる」「死ぬ」

それぞれ「(生存確率を上げる為に)先取られた未来」です。
「失敗したとき」や「成功したとき」
ま、「快」「不快」ですね。その最たる物が「生」「死」です。つまり「死活問題」
快を+(マイナス)、不快を-(マイナス)と考える。
「二つ」ある、ということは、その二項間に差があるということです。(差がないと同一です)
だから、「想像が枝分かれする」ってのは、そこでされた
「(最低)二つの像の間に差がある」
と言い換える事もできます。
そして「ドキドキし具合」というのは、この「差」に比例します。
「生」「死」で考えましょう。
今私は生きてるので「生」はゼロとします。
「死」は、まぁ、全くわからないのですが、とりあえず「一番いやな事」として-100にしましょうか。
「生死」の分かれ道を前にしたドキドキというのは、
0?(-100)
つまり100の差がある。
では、「半殺し」ではどうでしょう?-50です。これは50の差。
擦り傷位ならー5ぐらいですか?
そうですよね。同じ1メーターをジャンプするにしても、「落ちても水にぬれるぐらいで、まぁ下手してねんざ」ぐらいのどぶ川を渡るのと、ビルの屋上から屋上へ飛び移るのとではドキドキが違います。
お金で考えてもわかります。封筒があって、その中身が「一万円」か「からっぽ」かというような場合。これは緊張します。
仮にその中身が一万円か、あるいは「一万円払わなければいけない券(なんだろうなそれ?)」だったとしたら?なんかゲームでね。これは差が2万です。こっちの方がやっぱり緊張する。
仮にその中身の可能性が「2万円」に倍増したとしても、あり得る選択肢が「2万円」か「1万9千900円」か、であったらば、(うれしいですけどもね)、これはどきどきしません。どうせ100円分しかそこには差がないからです。100万円と99万9900円でも同じです。
「いいや、100万入っている封筒を手渡されたら、それだけでどきどきするよ!」とお思いかもしれませんが、これは「封筒に入っていて見えない」から「中身が新聞の束であるかもしれない」つまり「零円である」こととの差を入れてしまってどきどきしてるんです。例えば机の上に札束が置かれていて、「それを確実にあなたは手に入れられる」と。「でもそれは100万かもしれないし、99万9900円かもしれない」というような場合。これでは緊張しません。「誰が?何の為に?」とかいう事に想像力が流し込まれて緊張する事はあるでしょうが。(何より札束であるなら99万9900円ということはないのですが)

枝分かれする想像の差にドキドキは比例する。

面白いのは、その「差」がある場(エリア)自体の(快不快座標に於ける)位置はあまり問題でないということです。
現時点での私をゼロに取った場合。

A 10万もらえるか、20万もらえるか(プラス、プラス)
B 何ももらえないか、10万もらえるか(プラス、ゼロ)
C 5万もらえるか、5万損をするか(プラス、マイナス)
D 何ももらえないか、10万損をするか(ゼロ、マイナス)
E 10万損をするか、20万損をするか(マイナス、マイナス)

ここに挙げた物の差はどれも10万円ですが、このどのパターンであってもドキドキするんですね。
ただ、(プラス、プラス)と(マイナス、マイナス)に関しては、ある種の諦めかたができるようにも思います。「どっちにしろ、損するんだ」「どっちにしろ得するんだ」という。実際そう言うふうに思えると、ドキドキがおさまったりもしますし。
ただ、そんな時でも「どきどきしうる」というのは面白い。つまりこれは、擬似的に自分の地点「ゼロ地点」を移動してみる事が可能だという事なのです。

「おまわりさんに捕まらなくてラッキー」だとか
「これ位のけがですんでついてた」とか
C、Dのケースです。Dで言えば、
何ももらえないか、10万円損をするか、という分かれ道が開けた時、
想像した10万損をした地点から、『ゼロ地点を見返す』(見上げる)ことによって、
それを見ている自分の地点(ゼロ地点)をマイナス5万円の所に擬似的に移動してるんですね。

どうもこういうことはごく自然に起きるようです。こういう風に考える方が自然だろうと思います。
だって「(最初は居なかったのに、ゼロからうまれてきたんだから)死んでもともと」とはよう思いませんしね。
でも、そう言う事な訳です。もともと「私が生きていく」ということ自体がそうなのです。
そこで開かれている可能性は常にAである。「より得か」「も一つ得じゃないか」
だけれども、そういう風には私たちは中々考えない。普通に生きている時点でもうすでに「ゼロ地点の移動」はしてるんですね。
選択が開かれた場。つまり二つ以上の想像をしてしまった場合、擬似的にその中央位に自分を移動して、「見る」というのはだから、ごく自然な事だろうと思う訳です。

で、そうやって「自分の位置(ゼロ地点)」を移動してしまうものだから、プラスとマイナスの混同をしばしばしてしまう。
「賞がとれなくて、この世の終わり」の様に感じたり。
「ふられて、死にたくなったり」
「賞を(未だ)得ていない自分」がゼロなはずなんです。
「彼(女)と(未だ)つき合っていない自分」がゼロです。
けれども、想像してしまったら、自分の体が、その半分位浮き上がってしまって、元の所が「マイナス」に感じる。これはA、Bのパターンですね。
「この世の終わり」の様に感じたりするのは、「この世の終わり」の不快さの、約2倍位の「快」を想像してしまってたということじゃないでしょうか。

恋愛なんてものは、基本プラスの場に開けてる物で、「つき合えるかも」「キス出来るかも」とかもろもろ想像します。で、その想像した半分ぐらいは、想像してしまった以上「上がって」しまうのですね。自分が。だから「恋をする」というのは、片思いであれなんであれ、「良い事」だろうと思うのです。
ただ、その高度を「失う可能性」というのも獲得してしまう訳です。



次回「彼(女)」に対して開けた想像力と
「ケンタッキーフライドチキン」に対して開かれた想像力の比較から、また恋愛というもの特殊な事情を見つけてゆきましょう

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