恋愛論3


「どきどきする」ってなんだろうか?

ドキドキする。
「緊張する」とはどういうことだろう。

ネットって便利ですね。
msn相談箱

ふむふむ。
使えそうな所を引っ張ってくるとつまり。
生命の危機であったりに際して、
身体の各器官や神経組織が興奮状態(つまり、反応速度が最も速くなるとか、信号の伝達が素早く出来るようになる状態)にしておこうとする為に、
交感神経が興奮(?これどうなんだ?活発になるってことなんだろうなぁ)している状態。

樹上生活だったので、捕食者から逃げる為に木に登る時に手に汗をかいて滑りにくくしているのです。
とか、なるほどーですね。

ドキドキに関して言うと、血流を早くする事で、素早く体が動くということなんでしょうか?
実際役者として演技をやっていて、いろいろ気づくこともあります。
それからいうとこの「どきどき」「緊張」というのは、「ダメージ」の二歩手前にあるものじゃないだろうか?

たとえば、なにか「恐い」物が間近に来た時には、「息をひそめて」たり、また「腰をぬかしたり」します。

例えば実際に包丁がささっとしますよね。体に。
その時に血流が早い状態であれば、これはより危険です。より短い時間で血がからだからでちゃいますから。
あと「武術」の世界などで語られる事ですが、いかに「脱力」が大事か?
「竹はしなるから強い風でも折れない」なんてことや、元巨人の桑田が顔面ライナーを「膝を抜く」ことによってかわしたであったり。
有る程度の「ダメージ」は緊張する事(筋肉を固めたり、血流を速めたり)によって回避したり、抵抗出来たりする。これが二歩手前。
で、もう抵抗し様もない「ダメージ」に対しては「脱力する」こと。腰を抜かしたり、放心してしまったり、「生体反応を鈍らす」ことによって、それが「致命的」となることをさけるのじゃないだろうか?
手前という「ダメージと私との距離」というよりは、その「ダメージ」の大きさによるのかもしれないですね・・・。

・ ・・・

いかん。恋愛から離れちゃいましたね。
「ドキドキ」についてでした。

「食べ物が捕れるか捕れないか」
「自分が食われるか、逃げ切れるか」

というような時に発動される。という物を起源としているようです。
当然の事ながら、私たちは「命」に関わらなくても緊張する訳ですが、たとえばその「緊張」の極度のものを考えてみると、・・・
「命、とられるわけでなし」と言ったり言われたりして緊張をほぐそうとする事はよくあります。(だいたいの場合、その方法は有効でないのですが)
極度に緊張すると、そのように思っちゃってる。つまり「命が取られるかも」というような事態を想定しているのと、同じ状態になっておるわけです。
だから多分「緊張する、ドキドキする」の起源を「命に関わる」事に見るのは間違いじゃないと思われます。

起源が命にかかわるのだとしても、
「命がけの恋」じゃなければ「恋愛じゃない」というのもどうかと思うので、とにかく「起源」は置いておいて、その「ドキドキ」の構造について見ていってみましょうか。


私たちは「命に関わらなくても」ドキドキします。恋愛だけじゃなく。会社の面接や。ビッグビジネスの商談。ちょっとスピードが出てる自覚が有る時に白バイをみかけたり。
もちろん「補食されるか、逃げるか」というような生命の危機に関しても。(幸いな事にこれは経験が有りませんが、まぁドキドキするでしょうね)

じゃ、それらに共通する事は、なんだろうか?

1芝居の本番
2面接
3商談
4白バイ
5生命の危機

なにしろ「未来」にむけてそれはある。そしてその「先」が枝分かれしている時にドキドキするようだ。
「その先必ずこうなるであろう」ことにはドキドキはしない。先が見えない事によって初めて人はドキドキする。

「先」が
「わかれてる」

1~5のいずれもがそうで、おそらくこれは他のどの緊張にも言える事だろう。

「うける」か「すべる」か?(いや、そんなシンプルじゃないけどもね)
「合格」するか「不合格」になるか?
「商談成立」となるか「破談」となるか?
「罰金、減点」となるか、「セーフ」なのか?
「生きる」か「死ぬ」か?
風呂釜のスイッチを入れると「お湯が沸く。」
「お湯が沸く」のは未来のことであるが、それが当然であるので、ドキドキしない。
恋人からプレゼントをもらう。箱の中身は見えない。
「指輪」だろうか?
「ネックレス」だろうか?
で、どきどきする。

ドキドキするとき、人は必ず分かれ道に居る。
未来にむかって最低二つ以上にわかれた道を前にしている。
「わかれた道」というのは、私の前方に有る。私を起点にして未だ来ぬもの。つまり「未来」でなくてはならない。具体的に言えばそれは想像。私たちの想像力のことだ。
ドキドキしている時の私にとって、面接の結果は未来に有る。

「合格」「不合格」
とは、
「今の私がしている『合格』という想像」と「今の私がしている『不合格』という想像」
なのだ。
だって未来なんだから。それは想像するしかない。

過去の事にだって緊張するだろうという反論も有る。「思い返してみてドキドキする」ような事。
5の白バイがそうである。
実際には「つかまらなかった」わけで、ここには分かれ道はない「あぶなかったけれどもつかまらなかった」という結果が、もう今にやって来ている。
しかしこれは、まさに「思い返して」ドキドキしているのだ。
過去時点(白バイとすれ違う手前の時点)に自分の体を置いてみて、そこから見える「未来(つかまるか?つかまらないか?)」にドキドキしている。
「捕まってたかもしれないなぁ・・・」と思う事によって緊張する訳で、そこに「分かれ道」枝分かれする想像力が働かなければ、いくら思い返してみても緊張しようがないのだ。
5の場合で、もしも自分も警察官でパトカーに乗って猛スピードで犯人を追いかけている最中のことだったとすると、これは緊張しない。捕まる訳がないからだ。

「私」というのは一人しか居ない。同時に「合格」し「不合格」することは不可能だ。
「私」は過去時点のいずれのタイミングでも一人しかいなかった。
(たぶんね)
だから、「合格」「不合格」とか、「それが二つ以上有る場合」、それは「現在」でも「過去」でもあり得ない。
だから、それは「未来でなくてはならない」のです。

想像力

が、ドキドキにはどうしても必要だろう。
では想像力ってどんな物だろうか?
おそらくこれも生命にまで起源をさかのぼることができる。(というか、私たちは生き物なので突き詰めていくと必ず「その方が生きやすい」という事にたどり着かざるを得ないのだが)
それは、「生存確率を上げる為に、未来を先取る」ことだろう。
「危機を回避し、快を得る為に未来を先取る」ことである。
これは本当に必須ですよね。基本中の基本だろうと。生きてく上で。
だから私たちは常々「想像」をしている。もう、常にです。想像しないでいるときなんてない。そのされた「想像」が意識されないことはあるでしょうが、「想像」という作業はひとときも休む事なくされてるんですね。呼吸だとか鼓動だとかと同じレベルで常に働いている人の仕組みなんです。
私たちはびっくりすることができます。
例えば住み慣れた部屋に帰る。入り口のドアノブを掴んだとき。必ず私たちの想像力は働いているのです。ドアを開けると、そこが銭湯の浴場だったりすると、これはもうびっくりします。女湯だと嬉しくもなります(どうでもいい)
つまりそこでは「私の住み慣れた部屋」という想像がバックグラウンドでキチンとなされているから、びっくり出来る訳です。
びっくり出来る理由は一つしかないですからね。「私の部屋とは違う」という、まさにその一点においてのみ私たちはびっくり出来るのです。
住み慣れた部屋でも、食べ慣れた物でも、普段生活していておおよそ「想像力」とは縁遠いようなものであっても、そこに『何か(対象)』が有る限り、私たちは想像力を注ぐのです。

そのような想像力。
ただしそれが有るだけではドキドキはしません。

それが枝分かれするような状況、時点、地点でどきどきします。
ではそういうものをちょっと具体的に見てみましょう。

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No title

こんにちわ♪恋でドキドキするのはあまり少なくなってきましたが、やっぱりドキドキしたいですね(^O^)

No title

そうですねぇ。
ただ、なんか無い物ねだりな気もしますけどもね。私の場合は。

ドキドキしてた頃が、それほど「よろしかったか?」といわれると、あんまり覚えてない位遠い過去なので。
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