子供の壷


娘が英語の歌を歌っている。

とか、

いただきますの時に、
「今日もおいしいご飯を食べさせてもらってありがとうございます。アーメン、いただきます」と言ったり。

だとか。

ぎょっとする。
知らぬ間に、知らない所からいろんなことを吸収して、知らない人になってゆくのだなぁと感慨深い。

自分もそうだと考える。一体どの時期の何がどう影響して田中遊になったのだろうかしら。
なんか「壷」の要な物を想起する。その壷は確かに生まれた時から壷なのだし、最後割れるまで壷であることはやめないけれど、その壷の中には、玉も石も、有象も無象も、とにかく、ものすごい量の「何か」が放り込まれてゆき、そのようにして「壷の総体」はある。

私が後生大事に抱えているものは、多分その「器」の方だ。
中身は、人様よそ様が、勝手に醤油だのソースだの入れてって日々どんどんと変化してゆく。

子供を持つ身になって、一番すてきだなぁと思うことは、上に書いたような、「当たり前のことで、そんなこたぁわかってる」と思っていることが、ある肉感をもってもう一度目の前にあらわれることだ。

日々の営みは大事である。
「日々に流される」という言い方は、体感としてすごくうなずけるが、多分不適切な物言いだ。

私という壷の口を大きく開いて。閉じないで。
私にできることというのは、実はそれ位のことなのだから。

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