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地点のこと2

まず私の立場をくっきり。
僕は俳優です。京都で活動しています。地点は好きです。作品によって好き嫌いが大きく分かれるところを含めて。「ヘッズですっ」ってことでもないとは思っています。構成員に友達がいます。あと京都舞台芸術協会ってところの理事長をしてます。後ほど京都舞台芸術協会に関わることも言及しますが、このブログは僕の個人のもので、「ブログにこんなこと書くよ」と他の協会理事たちに相談したこともなく、また理事長つってもなんかたいそうな権限があるわけでもないので、京都舞台芸術協会とはあんまり関係がありません。とはいえ「私人として」とかよくわからんことを言うつもりはなく、このブログで以下書くような意見を持っている理事(私)が京都舞台芸術協会にいることは事実です。ただそれをもって京都舞台芸術協会の総意ではないこというまでもありません。

この前地点のことについてブログに書いたのが去年の10月。
その後、地点は沈黙をし続け、11月のいつなのか正確な日はわからないけれども映演労連フリーユニオンのホームページ上で「9月より団体交渉の開始」が報告されともなって、それ以前のエントリー(被害者の主張するパワハラ、不当解雇のざっくりとした内容などが書かれたもの)が削除された。
なので「まずは話し合いのテーブルに双方がついた」ということで間違いはなさそうだと考えていました。その去年10月にも書いたけれど、揉めてしまうとどうあれ、そのどちらかが出すステートメントは「一方的」にならざるを得ない。最後、調印して(できれば握手して)共同声明を出すまでは。原理的にそうだ。から地点がコメントを出さないということに関してはある程度理解はできた。理解はできるが気持ちは悪かった。(ここらは前回書いた)
この映演労連フリーユニオンが「団体交渉開始しました」と発表した時点で、同じように地点も「団体交渉中です。詳細なコメントは差し控えます」とコメントを出してればまた状況は違ってたかもしれない。「誠意を持って対応していきます」とか書いちゃうと、またややこしいけども、なるべくユニオンサイドと同じ言葉を使って最小限シンプルな言葉でそのコメントを出していれば「無視ですか?!」「なかったことにするつもり!?」というようなリアクションは(それでも言う人は言うんだけれど)少なかったかもしれない。
 なんでここで出さなかったんだろう?全くの憶測だけれども
・「ヘイターは、こちらが何をしたって笑っちゃくれないし、何かをするたびに噛みつかれるんだよな」という経験からくる実感と、
・「向こうがそう言うアクションに出たのだから、交渉中であることは言わずもがなで、だからコメントを出せないことも、いちいちいうまでもないことだろう」
・多忙
等かなぁと。本当に憶測だけれど。たしかに「交渉中につき…」というコメントを出しても
「うわー、なんか『捜査中の案件ですのでコメントできません』つってる政治家みたいっすね!」ぐらい言うてくるヘイターはいると思う。しかしそのコメントが出ない期間にちゃくちゃくと、僕ぐらいの距離感で見ている人の「気持ち悪さ」も増幅していったのではないか。そこは見誤ったかもしれない。「ヘイターの嫌悪感」と「フラットな人が持っている気持ち悪さ」とをごっちゃにしたってことかも。

そこにきてロームの館長就任発表。
京都市とロームシアターの短慮に関しては批判されてしかるべきだと思う。僕はまずいとおもう。なんでそんな「あぶない人選」をしたのかわからない。余人に替えがたい才能だとは思うけれど、不当解雇、パワハラの疑惑があるのなら一周パスできなかったのかしら…。

団体交渉というぐらいだから
1)双方に意見の食い違いがある
2)双方が歩み寄って妥結点を探っている。
ということなんでしょう。
つまり裁判しないための方策なんですよね。くだくと、「喧嘩を回避して握手するためのしぐさ」なんです、原則。もちろん国際政治の場でも、企業同士の場合でも、「テーブルの上で握手しながら、テーブルの下で足を蹴り合う」ようなことはあるんでしょうね。またいろんな情報を「飛ばす」ことでその交渉を有利に進めるなんてこともあるんでしょう。(知らんけど)。ただ基本的なマナーとして、「俺が100パーセント正しい」ということを広く外野に言いふらすのはNG。そういうことすると話し合いにならんから。「win winの関係」の逆ですよね。「lose loseの関係」なんです。どっちも言い分はあるけれど、どっちも不本意ながらおれられるとこまでおれて、手打ちにしましょうってことだから。「黒や」って側と「白じゃボケ」って言うてる側があって、どれぐらいの灰色でおさめますか?と言う話し合いがなされようとしていたわけでしょ?多分。その双方の見解の相違の程度が「白」と「黒」ぐらい離れてたのかどうかはわかりようがないですが。

地点からすれば、出会い頭に鼻っ面殴られて「おう、話し合いしようぜ!」って言われたようなもんですよね。もちろん社会的弱者にとってはそれしか手がなかったと言う可能性は高いです。何度も交渉を申し出ていたが地点側が相手にしてくれず、しかたなく、センセーショナルに世論を味方につける形で訴えたということもあるかもしれません。被害者の方には実際それしか手がなかったかもしれない。「マスコミや新聞を使って被害を訴える」のと同種の方法。地点に身に覚えがあるのかないのかわかりませんが、それを受けて(なのかどうかすらわかんないけど)それでも「じゃあ話し合おう」といってテーブルに着いたと。両者テーブルに着いた時点でユニオン側が一旦、剣呑な記事を削除した。そこで「お互いここまでなら譲れる」という話し合いが進めばそれが一番良かったんだろうと思う。それは何も「喧嘩両成敗」的なことじゃなくて、正義がある方により近く、正義のない方がより譲った地点で妥結されればよかったろうと。で、そこが設定できないならば、裁判するしかない。

いずれにせよ、静かな環境で話し合うのがいいよ。外野がやかましい中では落ち着いて話もできんし、ユニオンさんが噛んでくれているなら「密室」と言うことにはならんだろうし。そのためにも「コメントは差し控える」んでしょう。ところが就任の発表がされちゃう。

これはもう明確に「地点としては不当解雇もパワハラもやってません」という、相当明確な態度表明じゃないですか。だって「不当解雇、パワハラをやって、謝ってもいない人」が、館長になったらまずいです。そんなことはわかってる誰もが。
つまり地点はステートメントは出してないんだけれども、「うちらはやってません。」という明確な表明をしたのと実質同じで、かつそれに京都市とロームシアターがお墨付きを出してしまったってことなんです。 
これをやった時点で「話し合いのために、こちらの一方的(にならざるを得ない)ステートメントを出すことを控える」というのが全く、ちぐはぐというか、本当にそう思ってやってたとしても、筋の通らん話になってしまったと感じている。これは相手からすると「なんじゃそら」だとおもう。右手で握手してたら左フック来たってなもんでしょう。

結局、地点と被害者の方の見解の相違は、ものすごく大きかったんでしょうね。少なくとも地点は「ロームシアターの館長引き受けても大丈夫」という認識であることは間違いない。

で。だとして。京都市とロームシアターは、今回の「騒動の被害者」から独自にヒアリングなどをして、その結果「こりゃシロだ」という判断にいたった上で三浦さんに依頼?任命?してるのか?ということ。これをしてるってのならほんとごめんなさい。僕の想像だけですがしてないんじゃないのかなぁ…?そうだとしたらこれが一番の問題だと思う。「無能さが邪悪」な人も「邪悪で有能」な人もいるけれど、地点、三浦さん付近にそういう問題があるということを知らない、知ろうとしないまま任命するほど、市もロームも無能ではないと思うの。「徹底的に身体検査しろ」とは言わないけれど、「不当解雇、パワハラ問題、疑惑?がいまありますよ」ということぐらいは承知の上でやってるでしょ。その上で依頼だから

「京都市、ロームシアターは、地点、三浦サイドに非はない、と思う」って言った、つまりお墨付きを与えたってこと。

繰り返しだが「それ被害者の人にも話、聞いたか?」と。聞いた上での結論ならすんません。また「疑惑があること」すら知らない知ろうとしない無能ならば残念。


なんせここからはケンカだなぁと憂鬱になるわけです。「喧嘩しないで話し合いするためにステートメント出さなかった」という地点の主張は途中までは実際にそうだったんだと思いたいけれども、館長就任ニュースが出てしまうと、「おえ!喧嘩する気まんまんやんかいさ…」とならざるを得ない。ステートメント以上に強固だよ、だって市とロームシアターの後ろ盾があるんだし。でも「それでもかまわない」というぐらいに地点の彼らは彼らの正義を信じているんだろう。なら裁判するしかないと思うんだが…。

北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

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もう一点。
僕がテレビを見ていた頃だから12、3年以上は少なくとも前なんだけれど、おそらくアサヒスーパードライのCMで蜷川幸雄が出てるやつがあって、蜷川さんが稽古中に女優に怒鳴るの。
「そこで泣くんだよ!泣けぇっ!!」って。
僕はゲロ吐くぐらいそれが嫌いで。
CMの最後には「お疲れー」つってムッチャいい笑顔で座組みの人らと乾杯するんですけどね。全部がCMの演出なのか、ドキュメントも入ってるのかわかんないですけども、とにかく「なんじゃそら?」と思ったし「おい、こんなもんCMにして大丈夫なんか?」と思った。
で、そういう話がしたいの?ってこと。僕自身のことを言えば思い当たることは山ほどある。一昨年に京都舞台芸術協会でやった「舞台芸術家のための法律セミナー」に関連してツイッターで自分の黒歴史をどんどん流したけれども本当にもうど真ん中パワハラなんです。バカでした。すいません…。そんな私が言うのもどうかと思うのですが…

今回の地点のことは、ど真ん中真っ向「労働問題」でしょう。それこそ「労働問題に詳しい弁護士の〇〇さん」マターなんだと思うんです。フリーユニオンさんが入ってますけれども。(多分フリーユニオンさんは僕みたいなフリーランスも相手にしてくれる、つまり法律である程度保護されている「労働者」に限らず、むしろ「個人事業主」であるがゆえに保険も入れてもらってないような人の権利について明るい団体なのでは…?)だから、どっちかっていうと労働局に訴え出る案件じゃないのでしょうか?)
「パワハラの挙句、不当解雇」って、演劇に限った問題じゃないんですよ。それは地点が会社で被害者の方を雇用していたから。労働者なんです。

僕が舞台芸術協会の理事長になったのは、今から2年弱前、2018年4月で(あ、5月かも)、ちょうど「とある劇団のパワハラ」問題がふっと界隈で立ち上がった時期なんです。それを受ける形で「なんでも相談窓口」というものを開設したり、弁護士の中村先生にご協力をいただいて「舞台芸術家のための法律セミナー」「契約書作りワークショップ」などを京都舞台芸術協会が主催で開催しました。(僕が一人でやったんじゃないですよ。協会のメンバーでみんなで協力してやったんです)これはね、本当に厄介なんです。中村弁護士とお話しさせていただく中でクリアーになっていったのは、「私たちは労働者じゃない」ってことでした。つまり雇用契約を結ばずに、フリーランスが「業務委託」を請ける形で進んでいく事柄について(また、そのうちの多くは契約書を作らない形で!)どう言う約束事をするべきだろうかとか、「劇団」とかなるともっとようわからんもちゃもちゃした感じのなかで起こったトラブルはどう解決できるんだろうかとか。これはほんまに鬱陶しい、だるい話なんです。で僕たちはつい「演劇の世界のパワハラ」ということに、つまり自分の身近なことに引きつけて、それを今回の地点の件に重ねて、言いがちなのかと思うのだけれども、それは得策じゃないと思うのです。せっかくクリアになる条件下にあるものを、わざわざ、ふんわりした答えの出にくい平面に還元せんでもいいやんかと。「法人化」の流れはあるんでしょうけれども未だ多くの劇団はそこに至っておらず、まして俳優が労働者として雇用されている(民間で)というのはまだまだ珍しい事例でしょう。

「劇団内でパワハラがあったのか?」
よりも
「その会社の中でパワハラがあったのか?」の方が認定しやすいはずなんです。法律があるから。
劇場法はあるけど劇団法ってないんでしょ?「パワハラ防止法」とかどうなったのかしら?大企業と中小企業で違うんでしょうが…。
まして「不法(不当)解雇があったのか?」ということは「劇団を追い出された」とかいうことよりも、格段に認定しやすい。
会社には様々な責任義務があり、雇用される労働者には様々な権利がある。(僕ら稽古場で怪我しても、共演者からカンパもらえるかも?ぐらいですからね)
その枠組みで、はっきりするかもしれない事案に関して、自分に引きつけて「演劇とパワハラ」というレイヤーを重ね合わせることは、問題を「矮小化」といっては言い過ぎかもしれませんが、「ただめんどくさくするだけ」と言う側面はあるように思うのです。

「演出家が『この俳優を使ってもいい演劇ができない』と判断した時に、その俳優を降板させることができるのかどうか?お金どうするの?」
「俳優が『こんな演出家のしたでやってられるか」と思った時に降りられるのかどうか?お金どうするの?」
というレベルのこととは切り離して、幸いにも(?)この案件は労働問題として白黒はつくはずのものなのです(裁判になるんだろうが。嗚呼…)

「演劇の世界のパワハラ」については、ややこしかろうがめんどくさかろうが地に足つけて、ちょっとずつでも取り組んで改善してゆくべきだと思います。
また「労働者」としての被害者への連帯はあってしかるべきだとおもう。実際私は演劇の仕事もしてますが、それだけでは収入が足りませんのでWワークをしていて、弁当の配達をしているわけですが、そこでは全き「労働者」です(正社員じゃないけど)。ですから、その地平での連帯はできると思う。僕個人としては。

ただ「演劇に携わる人間として」今回の問題にコミットしていくってのは、クリアになるかもしれない問題を、よりわかりにくくするんじゃなかろうか?とも思っている。

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この二日、このことばっかり考えていてどうにも前に進めなかったので、吐き出して先に進む。
目は切らないけれど、脳みそと時間は来月の一人芝居のことに使う。


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追記 2月22日

一ヶ月前に書いた文章に若干の修正をさせてください。
先日ロームシアターより2020年度自主事業ラインアップが発表されました。

ロームシアター京都のホームページ

その記者発表の中で副館長が、
館長は劇場を運営する京都市音楽芸術文化振興財団の会長(京都市長)の推薦で理事長が任命すると説明。「当館の職員は決定過程に関わっていない。全ての人の人権を大切にするという運営方針のもと、心配や不安を払拭(ふっしょく)できるよう努めたい」”と発言されたそうです。以下の記事からの引用です。
毎日新聞による記事

先日書いた(上の)文章内で「ロームシアター」という言葉を何度も使って「短慮」「三浦さんにお墨付きを与えた」と書いています。この「ロームシアター」という主語を使ったことで
「劇場職員の方々も、今回の人事を了承した(していた)」という意味の文章になっていました。もちろんそこには「…という風に田中が考えている」というのを足してもらった上でですが。

実際に某ロームの職員さんから「いや本当に、まったく何の相談もありませんでした。『決まったから』だけです」というお話もお聞きしました。つまり「現場の人間のあずかり知らぬところで降って湧いた青天の霹靂人事」であった。と。(←これは僕の言葉です)さもありなん。なもので上記の文章に出てくる「ロームシアター」という主語でくくられているモノの中には、そういう方々、つまり今回の人事に関して大いに疑問をもっている方々も(いやその人たちの方がはるかに多い割合で)いらっしゃる。「その蓋然性が高い」ということを追記させてください。

ただその上で、ですが、「ロームシアターってどこまでがロームシアターよ?」っていう感覚はあります。これは僕よりももっとその演劇や劇場から距離のある一般の(という言い方も変ですが)人々からすれば「ロームシアターはロームシアター」でしかない。

ロームの職員さんたちが「現場の人間で、そんなセンスしてるやつおらんちゅーねん。」と言いたい気持ちはすごくありありと想像できる。でも「上も含めてそれがロームシアターでしょ?」って。例えばこのまま三浦さんが館長になったとして、じゃあ三浦さんは「ロームシアター」に含まれないの?館長なのに?職員の皆さんが何の関与もないまま決まった館長は、それは「ロームシアター」と切り離して語り得るものなの?かしら?


僕は外の人間で、且つ失うものもさほどありませんから勝手なことを書いたり言ったりできますが、ロームの職員さんたちは生活がかかっているわけです。ですから、彼らは軽々に何かのアクションを起こせない。それぐらいの想像力は「僕たち」=京都の演劇人には十分にあります。なんせ知り合いですから。当たり前の話。地点の人らも、ロームの職員さんも、公演取りやめた人も、取りやめようかなぁの人も。です。
ただ、「京都」や「舞台芸術」からもう少し距離のある人にとっては上の僕の書いた文章は

「ロームシアター」が、もう正味ロームシアターで働く人ら全員に感じられ、
また実際に日々なされている劇場の運営がそういうカラー、空気なのだろう。

と読み取られてもちっとも不思議ではない文章です。ですもので、今回(一ヶ月後に…)追記しました。

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