FC2ブログ

「紙屋悦子の青春」とそれにまつわる「批評性」について(アホほど長文)

アイホール 現代演劇レトロスペクティヴ
コンブリ団「 紙 屋 悦 子 の 青 春 」

の稽古中です。私はタイトルロール=悦子の兄(安忠)という役どころです。役作りを進めていくなかで、にわかに「批評性」というキーワードが私の目の前に立ち現れてきました。そのことについて書こうと思います。

まず大前提としてこの公演は「アイホール 現代演劇レトロスペクティヴ」と冠されているようにいわゆる再演です。もうその時点で既に批評的であらずにはいられません。過去のある時点で一定評価を得た作品、戯曲を、今現在時点に置き直す。作り手が<いやおうなく新たな>視点から作った作品を<いやおうなく新たな>視点を持った観客が体験する。ここには(『再演』という営みには)全き批評性があります。そこで私が考えたいのは
「黙ってたって批評的にならざるを得ない今回の公演に当たって作り手(その一員である私も含めて)はどのような批評性をもつべきか?」
ということです。
「どのような批評性」というのは、何に対して、どういう角度で、どのような力加減で、…?ということです。
「持つべき」というのは「義務、正しさ」というよりは「かっこいい」「理にかなっている」「芸術的価値が高い」「やりがいがある」というあたりのことです。
そのことについて考え始めると、この「紙屋悦子…」の再演におけるその問いは実はすごく複雑な問題だということがわかり始めてきました。

 何が「すごく複雑」なのか?と言いますと、それは「批評(性)の問題」がいくつかの層(レイヤー)に同時にあること。そしてそれらが互いに相関関係にあるということだろうと思います。いくつかの層。演劇にもいくつかの層があります。
・劇世界
・戯曲と演出家との関係の層(演出家とスタッフ、俳優の関係世界)
・作品と観客との関係の層(上演と社会との関係世界)
上記のいずれの層(レイヤー)においても「どのように批評(性)をもつべきか?あるべきか?」という問題がある。実はこれはどんな演劇作品においても至極当然のことだろうとも思うのです。たとえ再演でなくても同じ問題はあるだろうと。ただし、こと今回の「紙屋悦子の青春」の再演に関しては、その濃度が随分と高いのではないか?と感じていまして、それについて以下もう少し細かく書いていこうと思います。(細かく書いていくなかで作品の内容に触れています。そもそもが再演作品で有名な作品です。また映画化もされておりますのでご存知の方も多いとは思いますが、「今回、事前に情報を何も入れずにまっさらな状態で観劇したい」という方は、以下の文章は観劇後にお読みいただければ幸いです。)


<><><><><><><><><>

⑴戯曲に対して、初演に対しての批評性
先に書いたように今回は再演なのでそこには否応なく批評性が立ち上がるだろう。「名作だなあ」「美しいなあ」という単純な感想だけでもって我々が取り組んだのだとしても、そのとき出来する演劇には自ずと何某か批評性を纏うはずだ。なにせ初演から四半世紀が経っているのだから。とはいえそのことと、
〈「紙屋悦子の青春」に対して私たちがより自覚的に批評的であろうとすること。〉
とは少し違う問題だ。私たちは「この戯曲はなんだったのか?」「何故に名作なのか?」と問うて分析することもできるし、しないこともできる。「初演と今とで何が変わって、何が変わらないのか?」と問うことも問わないこともできる。
時間経過によって自ずと発生する批評性とは別に、そこからより進んで、違う角度から細かく光を当てることもできる。が、そうしない(でおこうと努める)という選択、つまり「時の経過に伴った素朴な批評性に委ねる」こともできる。果たしてどのような塩梅がよろしいのだろうか?ということがまず一つ目の「批評性をめぐる問題」だ。
演出のはしぐちさんが時空劇場に対してどんな批評性を持って再演に挑むのか?ということでもある。
また、時空劇場の「反動」とも取れる松田正隆さんのその後の活動、マレビトの会の初期に数度俳優として使ってもらった私にとっても、直接出会わなかった当時の松田正隆さんの戯曲にどんな批評性を持つべきか?というのは少々複雑な問題だ。しかし純粋に俳優の作業として台本をセリフを綿密に吟味する行為は、すなわち批評性を高めることだ。肯定的にであれ批判的にであれ。そうして少しずつ「紙屋悦子の青春」という戯曲が私の中で手触りを変え始めていった。
 次にその作業で感じはじめた「戯曲の中の批評性に関する問題」について書く。


⑵劇世界内部の批評性
・ふさの批評性
私の演じる「安忠」は紙屋悦子の兄である。ふさは安忠の妻であり、また悦子とは学生時代からの友達である。徴用されて、熊本の工場で働く安忠が一週間ぶりに米ノ津の家に戻ってくる。ふさは赤飯を炊いて夫の帰りを待っている。なぜ赤飯か?ただ「ごちそう」ということではない。近所の奥さんが「赤飯とらっきょうを食べたら爆弾に当たらない」と言っていたのだ。そのゲンを担いで、食卓に用意したのだった。しかしなかなか安忠は帰ってこない。帰りが遅いことを心配するふさと、やっと帰ってきた、妻と妹のことを心配していた安忠は、そのお互いの心配のささいな行き違いがエスカレートし過激な口論となる。

安忠「…おまえは日本が負けてもよかとか」
悦子「義姉さんは何もそげんことは言うとらんじゃなかね。」
ふさ「…よかよ…負けても…」

その後ふさは、悦子に促され「すいません」と一度は謝るものの「間。」の後「ばってん…」と続ける。

ふさ「ばってん…赤飯は赤飯らしゅう食べたかとです。らっきょうもらっきょうらしく食べたかとです。爆弾に当たらんごとておもうて赤飯やららっきょうば食べとうはなかじゃなかですか。」

一見、このふさのセリフには鮮烈な批評性があるように思える。戦争の末期である。前線の兵士は言わずもがな本土でも空襲で死んだ人々。家族を失った人々がいる。家を焼かれ帰る場所を亡くした人がいる。銃後を守ろうとその命を投げ打って敵艦に突っ込んでいく飛行機乗りがいる。安忠、悦子の両親も、東京大空襲で米軍によって命を奪われた。食べたくても食べられない人々がいる。粗末な食事でもかろうじて食べて命をつなぐ、その銃後の些細な営みを守るために自らの命を投げ打つ人がいる。そのシチュエーション、時空の中で、ふさは言い放つ放つのである。赤飯を食べながらである。「赤飯は赤飯らしく食べたい」と。これは本当に鮮烈だ。「コメを食べたい」「お腹いっぱいになりたい」と言うだけでも「おまえ、兵隊さんに向かってそれが言えるか?」「空襲で死んだ人、家族を失った人の前でそれが言えるか?」という状況。の中で「赤飯を食べながら」その食べている時の心持ちについて主張しているのである。無論それは「起きている間、常に『家族や知人が無事であるか?』と心配をしながら生活をすることにはもう耐えられない」ということなのだけれど、もうすでに家族を失った人々がたくさんいて、その人たちは心配することもできないのだから、「無事だろうか?」と不安に思うことすらもいうなれば一つの「贅沢」なのだ。しかしふさはそれを言ってのける。その強さを持っている。

ただ。ここでのふさの批評性は、芝居の中で(字面ほどの)鮮烈さを持たない。なぜか?それが家の中、ドメスティックな空間でなされた主張であるから。さらに重要なのは(台本を一読する限りにおいて)その場にいる悦子、安忠ともに、ふさと同じような視座で戦争というものを見つめているから。ふさの「赤飯…」のセリフは実に批評的であるが、その批評の的が舞台上にはないのだ。(繰り返しで申し訳ないが)一読するかぎり、ストレートに素朴に戯曲を読む限り、悦子も安忠も、ふさと同じ視座で戦争を見つめている。つまり「負けてもよか」という視座である。ふさが鮮烈に批評する「戦争。それを支持する空気」明石を特攻隊に志願せしめたもの。は舞台の外にある。登場人物たちはその舞台の外の空気に包まれて「被害者」として居て、言葉の発露の仕方は若干違えど、同じ方向を見ている。であるから、本来「鮮烈」であるふさの批評は、その対象が具体的でないことにより、ふやける。「サークル内の愚痴」にまで堕ちてしまわざるおえない。こうして一見鮮烈に見えるふさの戦争への批評性は、ふやけて、「悦子の悲恋」という鮮やかさに照らされ蒸発してしまう。

・老夫婦の批評性
これこそ「紙屋悦子の青春」の最大の特色だろうと私は思うのだけれど、「老夫婦」と「彼らの回想」の二重構造を持ちながら、老夫婦に 批評性がまったくないのだ。「老夫婦に」というよりも「老夫婦のシーンに」というべきだろう。普通に考えると回想シーンというのは、「今現在の視座から過去を振り返る」ことであり、そこに自ずと批評性が存在する。また過去のシーンによって、現在が見つめ返され、そこに又、批評が存在する。
 
A)「現在と過去が互いに批評し合うことによって、作品を立体的にしてその奥行きを増す。」
普通に考えてこれが「回想シーン」の大きな役割だ。その効果を得る為に「回想」という構造が持ちこまれる。
あるいは
B)シンプルにストーリーを倒置法的に表現する。結果の側から先に示して「その原因」に対しての興味を観客に喚起させてから過去(原因)を提示する。為に回想は持ち込まれる。

なのに「紙屋悦子の…」ではそのどちらでもない。B)の効果はほとんどないし狙われてもいないと感じる。興味深いのはA)の効果について、「それがない」ということだ。現在の病院の屋上にいる老夫婦も、回想の中の登場人物も、同じような角度から戦争を見つめている。これはとっても異質というか奇妙なこと。劇作ということを考えると。繰り返しになるが「回想」という構造を戯曲に持ち込む意味は「過去時点の視座」とは違う視座(現在)から過去を回想する、つまり違う角度から光を当てること=批評にある。素朴に「違う角度」、と考えるなら、老夫婦のシーンは、寂しげな病院の屋上ではなく、例えば「正月に帰ってきた息子、娘、そして孫たちに囲まれて幸せに団欒するひと時」である方が(劇作として)自然だ。実に平和で幸せな風景、一コマ、その時不意に思い出す、遠い過去の記憶。戦争と平和のコントラスト。それが強ければ強いほど、「二つの視座が異なる」訳で、より作品としての立体感、奥行きが増す。それは明白だろう。「紙屋悦子の…」では、先に書いたふさの批評性と同じように「一見」<戦時中の茶の間>と<穏やかな病院の屋上>とが対置されて互いに批評的であるように見える。のだけれど、実際には老夫婦も過去のシーンの悦子と長与も、同じ角度から戦争を見ている。時間の経過によってその「距離」は変われども「角度」に関してはほぼ同じように感じる。老夫婦の回想として展開される物語でありながら、「老夫婦→回想」にも「回想→老夫婦」にも批評性が希薄、というか無いのだ。

<ふさの批評性>、<老夫婦(反対にその回想)の批評性>、それらが「全くない」とは言わない。しかし「紙屋悦子の青春」のただただ鮮やかな「悲しさ」。その目がくらむほどの鮮やかな悲しさの陰で「批評性」はすっかり蒸発する。今回のコンブリ団「紙屋悦子の青春」のチラシは(意図的であるか否か知らないけれど)恐ろしいほど的確にその様子を表現している。

image002.jpg


チラシには戯曲の言葉、その文字がピンク色の桜の花びらとして配されている。その鮮やかな花に目を奪われて、私たちはそれを支える幹が目に入らない。それは実に周到に、徹底的に意図されたものに違いない。

「反戦演劇でないこと」こそが「紙屋悦子の…」の目的ではなかっだろうか?そしてそれこそが「静かな演劇」の「静かさ」ではなかったか。パラノイアックに「悲しい物語」として純化すること、批評性を排除することを目指された戯曲であり、その上演であったのではなかろうか?そしてその純度の高さこそが世間の耳目を引いたのではないだろうか?


⑶全ての階層にまたがる批評性(主に戦争についての)
書いてきたように、私にはこの戯曲内の登場人物からも、構造からも、徹底してその批評性が隠されているように感じられる。いうまでもなくこれは今現在の私の感じようだ。私は今45歳。父は終戦の年の7月に生まれた。母は父よりも一歳年下。つまり私の両親のこれまでの人生の日々、丸々が「戦後」なのだ。その私が今そう感じている。初演時、今から四半世紀前にはどうであったろうか?戦争体験をしっかりと記憶している方も観客の中にいらしゃったのではないか?そのような方にとってはどうであったか?おそらく今私が書いているような「批評性のなさ」と言う指摘はあたらないかもしれない。舞台上に「戦争そのもの」が立ち現れることにより、その記憶が風化してゆきつつある社会に向けて高い批評性を持っていたかもしれない。ただ確かなことは、少なくともこの戯曲の登場人物たちによっては戦争を防ぐことはできないだろうということだ。過去シーンの人々にも、病院の屋上の二人にも。

 私は今回の芝居にあたって資料を読む中で多くの体験者の心境と合致するというこの(無季)俳句を知った。

戦争が 廊下の奥に 立ってゐた(渡辺白泉)

 人々が気が付いた時に、ふっともう戦争はその形を確かにしてそばに在ったというわけだ。そうだろう「おかしいな、なんかへんだな、まずいんじゃないかなぁ」と思いながらも、それを批評することなく、ずるずると皆と同じ方向に歩んでいった結果、気が付いたら戦争をしていて、身内が死に、引っ込みがつかなくなっていった。確かにそれはそうなんだろう。老夫婦は病院の屋上で夕日を見ながら語る。

妻「なして(どうして)戦争のあったとやろか」
夫「なしてやろか」
妻「なしてあげん人の死んでいったとやろか…。」

これはまさしく戦争中にも体験者がそう感じていたものだろう。そしてこの二人はきっとまた気がつかないのだ。もしこの先もう一度、戦争が角を曲がった廊下の奥で徐々に大きく育ち形を成していってても必ずこの老夫婦は気がつかなない。そして「気が付いたら、また戦争が立っていた。なしてやろか…」と遠くを見ながら呟くのだろう。ぼんやりと「なしてやろか」と呟いているだけでは戦争が始まることを防げない。「なしてか…」からまっすぐ踏み込んで原因を分析する。自分の言葉で表現する。新たに意味づけする。つまり批評性が必要なのだ。江戸時代が終わり開国して明治大正~昭和初期という太平洋戦争時代の多くの市井の日本人たち、その頃の僕らの先祖の批評性のなさを非難しても詮無いことだ。しかし、それ(批評性のなさ)こそがまさしく戦争の母胎、苗床であったことは現実だろう。多くの人がなんども論じてきたことだけれど「戦争は一部の邪悪な人たちが善良な市民を洗脳して行った」というのは正しくない。「日本には資源がないから」「アジアの解放の為」「天皇陛下の存在」…どんな言葉で語っても戦争の原因は正しく語れないだろう。ただいずれにせよ、戦争の卵を温め育て孵化させたのは当時の日本人たちだった。私のじいさんも、ばあさんも。悦子もふさも安忠も、「戦争にまきこまれた被害者」であると同時に「戦争の当事者」でありさらに言うなら「戦争の加害者」でもある。明石に特攻隊への志願をさせたものはなんだったか?
最後の別れの挨拶に来た明石に対して、悦子に「(敵の空母ば)沈めなさることば、祈っております。」と言わせたものはなんだったか?
それは悦子自身だ。事実その直後、悦子ふさ安忠は、明石の「武運を祈って」彼を特攻へ、つまり死へと送り出すのだから。明石をころしたのは悦子たちでもある。「しかたがなかった」「やむをえなかった」…。確かにそうだろう。ただそこでそう言ってしまったら最後「戦争は悪いことだ。極力避けるべきだ。でも仕方なかった。やむを得ず戦わざるを得なかった」という言説に反論できなくなってしまう。一度始まってしまった戦争を止めることは、とんでもなく難しいだろうことは誰にだって想像がつく。「仕方なかった」といってしまうのも責められはしない。ただそこにいる限り、次にまた生まれてくる戦争を止めることはできない。所与の状況を、たとえば「世の中」だとかを無批評的にただ受け取り、多くの人が進む方向へなんとなく進んでいけば、当然のことながらまた廊下の奥に戦争がたっているだろう。なんどでも。戦後とは戦前のことだというのは真理だ。今の「世の中」を自分の頭で捉え直して意味づけすること。し続けること。し続ける人が一定数以上いること。それによってかろうじて戦争を押しとどめられる可能性が生まれる。落日をみつめながら「なして…」と呟くことでは戦争が始まるのを止めることはできない。むしろその老夫婦たちに「いや『なして』やあらへんがな!あんたらがしっかり『あかんもんはあかんって』声をあげへんからやんけ!」と若干の憤りを覚える目線、その批評的な視座にこそかろうじて可能性はある。
 しっかりとみて、自分の言葉で語ること、よければ肯定すればいいし、ほめてもいい。悪いと思えば、そして必要であれば時に声をあげて批判をする。そういう態度に。



繰り返しになるが「紙屋悦子の青春」からはこの批評性が全く感じられない。ずいぶん乱暴な言い方をあえてすると、この「紙屋悦子の青春」的なものが。それこそが戦争の温床、苗床、母胎ではないか?あざやかに「ただ悲しい物語」であるために徹底的に「反戦演劇ではない」、また「ない」ことを強く志向して作られたこの戯曲のその「静かさ」に戦争は着床し成長する(している)んじゃないか?

もし仮にそうだとすれば、私たちはこの作品をどのように上演するべきだろうか?特に気構えることなく、なるべくストレートに上演すること、それを四半世紀という時間の流れによって自然発生しているだろう観客の批評性に身をまかせるべきかもしれない。そもそも観客一人一人の持つ批評性は計測不可能だ。(などと言い始めたら何にも始められなくなるのだけれど)
あるいは何かしら、そういった不気味さ、戦争の胎動のようなものを能動的に伝える方策を考えるべきだろうか?だとしてそれはどのレベルでの操作が適正なのか?俳優の演技のレベル、全体の演出、舞台美術、衣装、ケレン…?各所が色々とやり始めると、マイナスとマイナスが掛け合ってプラスになるようなことも当然おこりうる。本当に厄介だと思う…。コンブリ団の答えを確かめにぜひ劇場に足を運んでいただきたいと思っている。

最後にもう一度だけ今回のとてもとても秀逸なチラシについて。
来年一月17~19日、アイホール。松田正隆さんの鮮やかに美しい言葉たち、桜の花は散がちってゆき、「紙屋悦子の青春」の幕が下りる(降りないけど。芝居が終わるってこと)花びらが散るとその枝も幹も消えて無くなる。芝居が終わった後の舞台上に、その幹や枝が幻視されることを、個人的には(今の所)願う。

コメントの投稿

非公開コメント

twitter
カレンダー
08 | 2020/09 | 10
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
最新記事
リンク