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日馬富士

今日もいつものようにお弁当を配達していた。午前10時前、私はある会社の社員食堂に足を踏み入れた。
「おはようございまーす」
返事がないのはわかっている。お弁当の入ったラックをテーブルの上に置いた。ご飯は電気のホットボックス入れて、オカズの方はその横の棚の上に並べておいた。その時、ふと壁に貼ってある記事に目が止まった。それはチラシか、社内報か、よくよく見たわけではないので分からないが、大きな文字の見出しには「講師 元横綱 日馬富士」とあった。何かの講演会かトークショーの宣伝でそのゲストが「元横綱 日馬富士」だということらしい。私は手を休めることもなく、昨日のお弁当の容器を回収してラックに入れて、それを抱えて食堂を出た。配達の車に戻ってきてドアを開けラックを置いたその時に、ふっと気が付いた。それは衝撃的な事実だった。

視覚で文字を認識した時に、私の脳内では音声が再生されている。それは普段耳で聞いている「音声」とは質の異なるものだという感覚はあるけれど、ではどう違う?と聞かれても上手くは答えられない。また「小説を読んでいる時に、ずっと誰かの声のナレーションが聞こえているのか?」というとそうではない。(作曲家の増田さんとかはそれに近いらしいのでとても興味深い)ま、何せ文字情報が視界に飛び込んできた時に脳内で音声変換しているケースが私には少なからずあるということだけ理解してもらればいい。

何が衝撃的だったかというと、「日馬富士」、というその漢字を、私は「ひのえうま」という音声に脳内変換していたのだ。そしてそれは今回はじめてではなくて、逆に、相当長い間、私の脳の中では「日馬富士」という漢字が視界に入るたびに「ひのえうま」「ひのえうま」と音声が再生されていた。ということに気がついた。この衝撃をどう上手く伝えればいいのか?本当に相当、長い期間、そうだったろうと思う。「はるまふじ」と読むことは知っていたが、日馬富士関が活躍し始めた頃には、私はすっかり相撲に興味がなくなってしまっていて、告白すると、多分、顔で日馬富士関を認識できない。
テレビを見なくなったのがもう10年以上前だから仕方がないのかもしれない。「日馬富士」という漢字の視覚情報と、「はるまふじ」という音声情報を、同時に得る機会がほとんどなかったので、いつの間にか頭の中に「日馬富士=ひのえうま」という回路ができてしまっていた。しかもこれは私の脳内の出来事なので、誰にも訂正されることなくおそらく数年という単位で機能してきていたのだ。

自分にとってこんなに衝撃的なことが、自分以外の何物にとってもなんの意味もないことに、より一層感慨を深めた。

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