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量産型の奇跡

昨夜、風呂から上がってくると机の上のノートパソコンの画面が暗かった。「あれ?電源切ったけ?」とちょっと引っかかったが私はそれほど深刻に気にも止めることなく体を拭いて着替えをして再び机に座った。昨夜から随分と夜の気温が下がって来ている。我が家でもクーラーを停めた。扇風機が一台二つの部屋の境界線で「ブゥゥーン」と大きな音をたてながら首を振っていた。
ノートブックパソコンの電源ボタンを押したが反応がない。長年の盟友、この銀色の若干重たい板状の奴は、macbookpro2010mid、つまり八年間私一緒に走り続けてくれたマシンだ。なんども生死の境をさまよった。我が家に来て三ヶ月目にキーボードにコーヒーをぶっかけてしまい、三日間陰干しした後、奇跡的に息を吹き返したのが昨日の事のようだ。その後何度も公的な、あるいは私の手による手術を経てここまで生き延びて来た。仮に今日、この時に亡くなってしまったとて大往生であることに誰が疑義を挟むであろう。ただし「大往生である事」と「仕事への支障」は別次元の事柄なのだ。私は何度も電源ボタンを押してみた。背面に耳を当ててみてもまったく音がしない。かろうじて電源コードの「通電ランプ」と、バッテリーのインジケーターは点いていたが、このままでは死んだも同然だ。結果としてはこのとき、生来の分解癖を押さえ込んだ自分を褒めてあげたい。特にアルコールが入った時の私は、具合の悪くなった機械を持って来て精密ドライバーでそこ蓋をこじ開けて内部を分解したくなる欲求が高まり、自制できなくなる事がしばしばあるのだ。昨夜、奇跡的に「その虫」を寝かしつける事に成功したのも、この「相棒」が今、動かなくなったときのダメージとコストが膨大だからであった。

かくして私は不安な気持ちと若干の寝苦しさを抱えつつも、23時半頃に就寝した。
ここでは書けない内容の夢を見て思わず目を覚ましたのは翌朝の4時頃だった。ふとんから起き出した私は電気を点けずそのまま机の前に座りパソコンのボタンを押してみた。反応はなかった。何度か試してからスマートフォンでネットサーフィンし収穫してきたハウツーを試してみたが効果はなかった。あまりに突然の相棒の死は、予感があったわけではないけれどこうなってみると当然だとも感じられた。これ以上彼の生をもてあそぶべきではないのかもしれない。k-1ファイター、アンディー・フグの臨終のときのエピソードを思い浮かべた。同じくK-1ファイターの角田氏が今際の際のフグに「まだ行ける!たちあがれ!ファイトだ!」と声を掛けると、その度にフグのバイタル数値を示す計器が再び反応し始めたのだと言う。最後には「もう楽に死なせてあげましょう」と医師が角田氏を制したそうだ。フグは最後まで闘う意志を捨てなかった。ただ「ドクターストップ」がかかったのだと。昔、角田氏がテレビでそのエピソードを美談のごとくしゃべっている見た時、私にはそれが残酷物語にしか聞こえなかった。
パソコンの傍ら、机の上に取り出した精密ドライバーを抽斗にしまってから、私は再びふとんの上に横になった。しばらく目をつぶってから、なんということはなかったのだけれど起き出して、ノートパソコンのキーボードの上に乗っけているナイロン製のカバー(あのコーヒーをこぼした時以来つけているものだ)を取りはずし、ノートパソコンの天地を裏向けにして机の上においた。それからまたふとんにもどり一時間ほど微睡んだ。二度寝しそうになりながら見るのはさっきよりも悪い夢ばかりだった。
五時二十九分。目覚ましが鳴る一分前に目を覚まして、私はスマートフォンのアラームをとめた。ふとんから起きて机の前に立ち、念のため裏返しになったパソコンを元に戻して開いて電源ボタンを押してみた。

二秒ほどの沈黙の後、相棒は息を吹き返した。

私の頬を熱い涙が伝っていった。

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