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脚本指導(2)

(承前)実は私はこの洛北高校の演劇指導の最初の三年間は脚本指導は断っていた。台本、脚本はある特殊な形態ではあるが要するに「言葉を書く」ことであり、つまりは国語の力が必要になる。高校の彼らがそれまでの人生と小学校中学校高校の約十年間の教育で身につけた国語の能力だ。書ける生徒はほっといても書けるし、かけない生徒は、たとえ偉い脚本家の大先生であっても、ちょっとやそっとの事で台本を書けるように仕立て上げる事なんて出来るわけが無い。何より「台本がどうであれすばらしいクラス劇は出来る」というのが僕の持論でそれは今も変わっていない。「どうしようもない台本」を使ったクラス劇が「文句無くサイコーなクラス劇」になる可能性だってあると本当に思っている。だから「やってもやらなくても同じ脚本指導」をするぐらいなら、演技ワークショップや演出ってどうすればいいの?というような時間にをつかいませんか?ということを提案し、お願いしていたのだ。…ただ去年まで窓口として担当してくださったK先生はかなり強い要望をもっていらっしゃった。「やっぱり脚本がダメだと、いくら頑張ってもダメ」という彼女の意見に、私はとても同意できなかったが、「まずい脚本を選んでしまった為に、クラスのモチベーションが上がらない。クラスがまとまらない」という事象は確かに私も感じて見て来ている事実でもあったし無視する事はできなかったのだ。
「台本が全てでは勿論無い」が「台本のクオリティーがクラスの求心力、推進力になり得る」。
この「脚本指導」の時間はそう言うわけで始まった。私は本来「どうしようもない台本」を選んだっていいと思っているのだが、「脚本指導」をしなくちゃならない身としては「言わなきゃ仕方が無い」という辛さがあるのだ。

今年のラインナップは映画原作が一本。映画(+舞台→ノベライズ)原作が一本。既成台本が一本。オリジナルが一本。残る三本の「どうしようもない」作品はすべてインターネットに落ちていたものだった。「ネットは玉石混淆」だと生徒さんにも先生方にも毎年言っているが、私の体感としては「ネットはダイヤをいく粒か落とした肥だめ」に近い。確かにクラス劇に向いているものもあるから悩ましい。実際去年に上演されたネット出自の脚本は目を見張るものがあった。

時計を見るともう残り時間も5分を切っていた。
「いや、実際この台本書いたのって、君らと同じ高校生かひょっとしたら中学生かもしれんよ?大丈夫、君たちなら書き換えられるよ!」
私は一人一人の顔を見ながら励ますように言った。しかしこれは本心だ。こんなウンコみたいな台本、優秀な彼ら彼女らにかけないはずがないのだ。問題があるとしたら時間。その脚本を書く時間をとれるかどうか?と、クラスのコンセンサスをとれるかどうか?そしてその二つはとても大きな問題なのだけれど。
真ん中に座っていた女の子がおずおずと口を開いた。
「でもこれ、どこかの劇団の人が書いた台本なんです…」

・・・・・・・

帰宅後、私は検索をかけて脚本集ページから辿り、その「劇団」のホームページを見た。案の定、過去の上演動画がyoutubeにupされていた。三十分弱のその劇は「良くできた高校生のクラス劇」のようだった。台本はもうどうしようもないけれど役者は熱演している。台本が人間を捉えてられいない為に、その熱演が痛々しいのもクラス劇と相似だ。やっぱりこれはこれでいいんじゃないかと思った。どっと疲れがでた。


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