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手強い敵

午前十一時四十三分。私は滋賀県にいた。北側から琵琶湖を望む山裾に立てられた某企業の工場の社員食堂のカウンターの中で、コックコートを着た私は黙々とみそ汁をお椀に次いでいた。その工場の昼休みは全員が一度にではなくて、いくつかのグループごとに十五分ぐらいの時差をつけてある。とはいえ総勢三百人だか四百人の人間が訪れるわけだから結局の所てんやわんやに違いは無いのだ。ウチの会社は企業にお弁当を届ける仕事をしているが、こう言った社員食堂、学生食堂の運営も事業の大きな柱になっている。この社員食堂も二年前のオープンから随分と形が定まって来たようだ。とはいえ若干の人手不足が解消できておらず、週に何度かこうして配送員が「みそ汁入れる要員」としてヘルプに入る事が慢性化している。数ヶ月ほど前から私もこの琵琶湖コースを走る事が多くなり、このみそ汁要員も何度となくこなして来た。最近では、カウンターの上に並べておくべきお椀の数、出すタイミング、空のお椀が入ったラックの用意、みそ汁の具をプッシュするタイミング、そういったコツが掴めてきて、慣れないみそ汁入れにも余裕がでてきたところだった。がそんな私の思い上がりを打ち砕くかのように、本日のみそ汁入れには実に苦労させられた。問題は具だ。
車を食堂のある棟の下の駐車場に止めてエレベーターで食堂のある9階にまで上がった私は、休憩室で配達用のポロシャツからコックコートに着替えた。厨房の手前のシンクで手荒い消毒を済ませマスクをし青色のゴム手袋をつけてから、スイングドアを開ける。
「お願いしまーす」
私が声を掛けると四五人のエプロン姿のおばさんたちが挨拶を返した。麺類担当、御飯担当、定食のオカズ担当などなど…。私はみそ汁の入った鍋がかかったコンロの前に行き。直径四十センチ、高さ六十センチほどもある大きな寸胴鍋のふたを開けた。みそ汁の椀と一緒に置いてあったお玉でそこの方からかき混ぜる、すると、みそ汁の水面に浮かび上がって来たのは複雑に絡み合うもやしたちだった。思わず私は舌うちをした。こいつは厄介だ…。次から次へと押し寄せるお客さんの大半は定食を頼まれる。麺類丼ものを頼まれる方は稀だ。つまりそのほとんどの人がお味噌汁を召し上がられる。カウンターから伸びる行列を以下にスムーズに前に流していけるのか、極論すればそれだけが私のミッションだ。回転数がものを言う。左手で空のみそ汁椀に手を伸ばしている時に右手に握ったお玉は寸胴鍋に沈んでいなければならない。お玉がみそ汁の海から引き上げらたその時その場所に、左手は空のみそ汁椀を持って戻って来ているべきだ。みそ汁が次がれたお椀はカウンターの上に乗せられる。カウンターの上にはすでにいくつかのお椀が並んでいてそこからお客さんはお味噌汁を取っていかれる。開いたスペースに先に入れたみそ汁を置いて、まだアツアツの今入れたお椀は取りにくい後列に、という作業をする左手と並行して右手は鍋をかき回していなければならない。
かくがごときシステムのなかで、もやしのヒゲは本当にやっかいだ。当然の事ながらお椀の外側にもやしのヒゲがヒョロンと出ていると見栄えが悪い。が、もしそうなった場合はお椀でそれを手直しする事になるわけだが、そのロスタイムが命取りなのだ。
私は日頃五個×二列のお椀のスタンバイを五個×三列にした。それでも不安だった。十一時四十五分、一番最初のチャイムが鳴った。私の不安は的中しあっという間に行列ができ、あれよあれよといううちに「みそ汁待ち」の人たちが渋滞を起こし始めた。

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