予期せぬ出費

夕方、稽古場でノートパソコンを開くとバッテリー残量の表示は思ったよりも低くなっていた。19%。鞄の中から充電用のアダプターケーブルを取りだしてコンセントと接続した。iPhoneもケーブルでパソコンに繋いでインターネットを共有しメールを受信して仕事を始める。「ついてたな」と私は思った。私は普段、アダプタは持ち歩かない。昨夜実家に帰るということがあったのでアダプタも鞄の中に放り込んでおいたのだ。ノートパソコン自体も365日持ち歩いているわけではない。「2010mid」と名前に冠した我が相棒は、そのとおり2010年の4月に発売された(か、僕が購入したのか、どっちだったっけ?)ものだから私とて、いい加減引退させてあげたいのはヤマヤマである。なんといっても八年選手だ。野球選手で言えばイチローレベルだろう。(ならばもうちょっとプレイングコーチぐらいでもいいので働いてもらおうか…。)ただこの背番号2010はイチロー選手ほどスリムではない。むろんデビュー当初はとんでもなくシャープで軽く感じた物だけれどあれから八年が経った今、半分の重さで二倍は賢いマシンはごまんと市場に出回っているのだ。
iPhoneの方で一読しておいたメールをパソコンでも開き添付ファイルをダウンロード。二三通、とりいそぎ返事を書かねばならない。私はキーボードを叩き始めた。しっくりと手に馴染んだキーボード。休日などに、たまに寄った家電量販店で新型のパソコンのキーボードに指を触れると、もれなく私は軽い失望を感じてしまう。当たり前の話だけれど、今使っているこのノートブックとまったく同じ感触(「打鍵感」という言葉は正しい日本語だろうかしら?)のノートブックはどこにも無いからだ。新しいパソコンに買い替える。ということは「賢くなる」ということでもあると同時に「この文章を打つときのフィーリングが変わる」ということも意味する。私に取ってそれは小さくない要素だ。そのことが八年間、一途にこのノートブックを使ってきた大きな要因であることは間違いないと思う。(台本が書ければ良い、つまりテキストが打ち込めて、プリンターと繋がれば良いのであれば、廉価な物はいくらでもあるのだから)
アダプタを何故持ち歩かないのかというと、単純に本体自体がすでに重くて(と言いながらも結局私は毎日のようにこのノートパソコンを持ち歩いている。無いと仕事にならないのだから仕方が無い。)だからこそすこしでも荷物の重量は減らしたい、となると、アダプタをわざわざ鞄に放り込んでおこうとは思わないということなのだ。このことには良い副作用がある。「バッテリーが無くなる前に仕事を済ましてしまわなければならない」というプレッシャーを自分にかけられるのだ。「さっさと済まさないと電源が切れる!」ぐらいのタイムリミットがあった方がダラダラと作業をしがちな私は作業がはかどるのだ。
二通のメールに返信した時、私は異変に気がついた。何やら焦げ臭い。机の下のコンセントに刺していたアダプターを手に取ってみるとコードの付け根の辺りに巻き付けたビニールテープが熱で溶けていた。これまでか…。と私は思った。仕方が無い。八年前に本体に付属して来たアダプターはコードを被覆するビニールが劣化して数カ所で破けて銅線(なのかな?)がむきだしの状態になっていた。手当としてビニールテープを巻いてはいたもののいつかこうなるだろうことは目に見えていたのだ。私は観念した。バッテリーの残量を気にしながらノートブックでブラウザを開きインターネットでアダプターの値段を調べた。9500円だった。
今月の残り数日、いろいろ浮かんでいた「どこに行こう」とか「何をしよう」などというアイデアがさらさらと砂になって風に吹かれていった。

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