春の挨拶祭り地獄

昨日の午前中のこと。
僕はいつものように、車に食材やお弁当を積み込んで会社を出た。一件目の納品先は某大企業のビルの社員食堂だ(勿論どことは明かせない)ガレージに車を停め、荷物を降ろし、比較的シビアな入館手続きを経て、僕はビルの三階にある(僕の会社が運営を任されている)社員食堂へとむかった。まだお客の居ない(当たり前だまだ九時前だし)食堂に、フライやもやしやネギやハンバーグにかけるソースの入った寸胴なベ等を手早く放り込んでから、「おつかれさんですー」と食堂のおばさんたちに挨拶をして僕はエレベーターへと向かった。荷物を降ろしてからっぽになったコンテナを乗せた台車に押してエレベーターホールまで行くと、あいにくエレベーターは今二階に下り、そこからさらに下がっていく途中だった。ぼんやり光る数字を何と無し見ていると、横手から声がかかった。
「おはようございます」
反射的に「おはようございます」と挨拶しかえしながら僕はそちらを向いた。グレーのスーツを来た女性だった。二十代後半だろうかしら。何か紙を挟んだバインダーのようなものを小脇に持っている。
「おおきに」と僕がいうと、嫌みでない笑顔を作ってそのまま彼女は奥の方へと歩いていった。ぼんやり彼女の背中を見ていると…
「おはようございます!」
と今度は元気のいい男の子の声がした。さっきの彼女と同じ所から。見なくても分かる。フレッシュマンだ。つまりさっきの女性は人事部(になるのかな?)だかなんだか、新入社員を教育する立場にある女性で、その彼女がフレッシュマンたちを、この階のどこかにある会議室だか資料室だかに連れていくのだろう。僕にとっては何度も見て来た風景だ。

考えてみれば僕はこの弁当(や、社員食堂で使う食材)の配送の仕事をし始めてから10年になる。(多分先月で勤続十年になったはずだ)だから、この時期の「人事の人につれていかれるフレッシュマンの行列」は幾度も目撃していた。それはなんというか「カルガモの行列」を思わせて微笑ましく、それに出くわす度に僕は心の中で「頑張れよ!」とエールを送るのだった。
「おはようございます」
僕はそちらを向き直して笑顔で挨拶を仕返す。明らかに「スーツがまだ着慣れていない」感じの若い男の子はくっと腰からお辞儀をしてくれていた。申し訳ない気持ちになった。僕は社員食堂に出入りしている業者の一員に過ぎないのだから。とはいえ彼らにとったら「親ガモ」である人事部の先輩が挨拶をした人物に対して、同じように、あるいはそれ以上の敬意を表現しながら挨拶することは「社会で働く」と言うことの確かな第一歩なのだろう。そして「その第一歩目を踏み外すことはあってはならない。」と彼ら彼女らが感じているだろうことは想像に難くない。それはとてもまっとうな感覚だと思う。大切にして欲しいと思う。演劇をやりながら43歳になってもアルバイトの身分として働かせてもらっている僕が言うのもなんだけれど。
お辞儀をしていた男の子が一歩進んだ。彼の後ろから現れたのは、最初の彼よりも体の大きい、明らかに「体育会系の部活でならしてました!」というような男の子だ。彼は「最初の男の子がいた位置」に歩を進める。
「おはようございます!!」
最初の男の子よりも低く圧のある声だ。腰からのお辞儀は最初の彼からしっかり踏襲されている。僕も返す。
「おはようございまス」
そのガタイの良い男の子が一歩進むと、次は女の子だ。
「おはようございます!」「おはようございまス」「おはようございます!」「おはようございまス」



「カルガモの行列」の「行列」の部分は比喩ではなくて実際行列で、(大企業なので)各支店にこれから配属されていくだろう(おそらく)百人以上の新入社員たちが、人事部の女性の後に移動をしていたのだ。大人数だからこそエレベーターで移動すると何組にも別れて占有することになるので階段で上がるという選択だったのだろう。階段はエレベーターホールのちょうど裏側にあった。階段を上がり切るとまっすぐな廊下になっていてそこを新入社員たちの行列は進んでいく。エレベーターホールは廊下の途中、階段の上がり口から数メーター進んだ所に凹んだ形である。従って、階段を上り切った時にはエレベーターホールは見えない。行列の前の人に続いて数歩歩くと左手に空間(エレベーターホール)が開ける。そこが「挨拶ポジション」だ。
フレッシュマンたちは、食品工場のベルトコンベアーに乗った肉まんのように流れてくる。一歩前を歩く人の動きを踏襲して、次から次へと僕に「おはようございます!」と挨拶をしてくるのだった。もちろん全員腰からお辞儀をして。お辞儀をしている人のその後ろに立っている人は僕には見えない。つまりその行列がどこまで続いているのか分からないのだ。少なくとも20人ぐらいのフレッシュな男とか女とかに「おはようございます」と挨拶をした時点で僕はエレベーターの表示を見た(と思う。あまり記憶が定かでない)が、まだエレベーターの”箱”は「B1」にあった。何か偉く多くの荷物を降ろしている、あるいは乗せているのか?
「こちらから見えていない」ということは、当然ながら相手からも見えていないのだ。しかしそんなことはなんの障害にもならないと言ったように、フレッシュマン(フレッシュウーマン)たちは、その「挨拶ポジション」に片足を入れ、もう片方の足を先行する足に揃えると同時に既に腰を曲げて「おはようございます!」と挨拶をしているのだった。勿論僕としても挨拶を返す意外に選択肢は無い。彼らは僕を雇ってくれている会社に社員食堂の運営を任せてくれている大企業の従業員なのだ。「新入社員だから」と言う理由で挨拶しないわけには勿論いかない。

「おはようございます!」「オハヨウゴザイマす」「おはようございます!」「オハヨウゴザイマす」…

彼らもそうだ。繰り返しだけれどフレッシュマン(ウーマン)の彼ら彼女らが今一番してはならないのが「踏み外すこと」だから。前の人間が挨拶したなら(増して先導する「親ガモ」の人事のお姉さんがしてるんだから!)相手が意志のお地蔵だろうが、紙のお札だろうが、犬の糞だろうが挨拶する。

「挨拶をしなくちゃ」ということ対してかかっている圧力は、僕と彼らとで、それほど差はなかったかもしれない。それは拮抗していたかもしれない。しかしながらその「頭数」が全く違っていた。僕は一人であり、彼らは(想像でしかないが)百人以上もいるのだ。僕はいつ終えるとも知れない「オハヨウゴザイマす地獄」のど真ん中で、ただひたすらエレベーターが、三階に上がって来てくれることを願っていた。

「おはようございます!」「オハヨウゴザイマす」「おはようございます!」「オハヨウゴザイマす」…

正直に告白するが(おそらく)30人越えたぐらいで僕はもう、笑ってしまっていた。誰が悪いわけではない。いや別に「不幸」なわけですらない。が、なんというかひたすら繰り返される、この「オハヨウゴザイマス」という音声、言葉。そして22、23歳の若者の腰を折るという筋肉運動。それらの全くの不毛さと、だからといって「誰にもどうにもできなかった。これ以外にしょうがなかったのだ」と言う事実が、ただ僕を笑わせていた。それしかしようがなかった。

あの朝僕は一体何人に「おはようございます」と言ったのだろう。小学生たちの登校をみまもる先生や地域の大人たちは、一体どういう風にしてその、えも言われぬ感じを受け止めているのだろう。




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