正直者の会.lab[日本難民]本番一週間前です。

来週の土曜日から本番です。たった二日ですが濃い二日になるはずです。又ご予約いただけます。是非是非お越し下さいませ。
今回の公演についてとあるところから取材をいただきメールにてお返事しました。そちらちょっと付け加えてここにもあげます。

ビラ表


「アトリエ劇研がなくなって…」
正直者の会.labは、元々は「劇研アクターズラボ」という劇研が主催していた「毎年、出演者を募集して演劇公演を作る」という企画が前身です。田中遊がその企画の脚本、演出を担当した三年間が終わり「それでも又続けたい」という人たちと一緒にこの座組が始まりました。その六回目、アクターズラボ時代を含めると過去八年八回の公演を上演させてもらったアトリエ劇研が無くなるということは、私たちにとって「帰る場所を失う」ということでした。その喪失感や心細さを何倍も何十倍も拡大、延長した先に「難民」があるのだろうと思っています。この芝居で私たち(正直者の会.lab)の事を語ろうと思っているわけではありませんし、また私たちに難民となってしまった人たちの何かがわかるなどというつもりもありません。しかし劇研で生まれ、劇研に育ててもらった私たちが、劇研ではない場所で「日本難民」という公演を打たせてもらえるということはある意味で、アトリエ劇研への恩返し、追悼になるのではないかと思っています。

「強調したい点」
あまりに当たり前に存在するので「それが無くなるなんて想像もしないもの」。例えばそれは家族や、自分の健康や、自然、日々の生活。そして国もそういう物だろうと思います。しかし私たちが当たり前に思っているこの日本と言う国も、大政奉還から数えても、たかだか150年の歴史。この先、いつ、どんなふうにそれが変わったとしても不思議ではない。未来永劫「変わらない」という方が不自然です。言わずもがなどんなものにも終わりがある。日本という国にもいつか終わりはくる。地球という星もそうで、でも僕たちはいつかくる「地球の終わり方」をうまく想像できない。同じように「日本の終わり方」もうまく想像ができない。でも一つ言えることは日本が終わったあとも、私たち(の子孫たち)は生きていくだろうということです。国という枠組みが無くなっても、そこに実在していた人々全員が一緒に消え去るわけじゃない。生き延びたその人たちはもう「日本人」ではない(日本が無いから)けれど、今の私たちと同じように、寝て起きて、食べて働いて、時には笑って歌って、そして泣くのだろう。
「難民」は世界で実際に起きている現象ですが、今の日本にいて「難民」に思いを寄せることは、それほど簡単なことではない。昨今、「そうだ難民しよう」「武装難民」などという言葉が表舞台に出てきました。それほどに、私たちにとって難民は「自分の身には起こらない、他人のこと」なのでしょう。このお芝居で「難民問題」について啓蒙できるとも、しなければとも思っていません。しかし「難民を他人事だと思っている私たち」について「それが何故なのか?」について、このお芝居を通して少しでも意識が向いてもらえれば、それは一つの大きな成果ではないかと思っています。



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