このしたposition!!「人間そっくり」

このしたposition!!「人間そっくり」http://akebonoza.net/160611play.html

拝見した後にアフタートークゲストとしてお邪魔しました。
「いかに『やらないか』」ということのお手本のような公演で、素晴らしかったと感じました。アフタートークでも出て来た話ですが(あ、うそか?打ち上げの席でのお話だったかしら?)演出の、あと今回は出演もされていた山口さんが、出演する俳優さんに「セリフを覚えないでください。リーディング公演じゃなくなるから」というようなおっしゃったらしいのですね。でそれはおそらく「リーディング=読む」という行為の中の豊かさを駆動力として物語を進めてゆくという指示というか決意だと思うのです。

テキストと(生身の)俳優との距離は、一定ではない。その伸縮をデザインする事がいわゆるリーディング公演の妙味だと思っていて、僕はとても大好きです。目線をどこに置くかという事一つで、その「距離」は違って見えます。つまり本(今回は巻物)に目線が落ちているのか、そうでないのか。ですね。その意味で「リーディング公演だから覚えちゃダメ」というのはあんまり乱暴だと思いますが、覚えてしまう事によっていとも簡単にその「距離」が損なわれるということも事実です。俳優というものの「原理」がそうなっとるんだと思います。
結局このあたりは「バランス」なんでしょうね。やり過ぎたら引っ込めるし、引っ込めすぎたらださなきゃならんだろうし。どこかに一つの正解があるわけじゃないのでしょう。冒頭と最終版に主人公が「私はどうしたら良かったのでしょう?」「あなたならどう答える事ができますか?」というような問いかけが観客に向かって投げられるのですが、これは(今日の何となくの話を総合すると)二口さんが出演されるバージョンの時の方が効いたんだろうと想像はできます。俳優とテキストとの距離は、世界と観客との距離、位置関係とも言い換えられます。その問いかけが「世界の内部」から響いて来た時に観客はぞっとする。けれど山口さんは世界の中にはいないのでそれほど「劇的」にはならないんですね。ただその一点を取って「やっぱ二口さんが良かったんじゃないの?」というのは拙速な判断です。全くの想像でしかないですが(二口さんのを見てないので)放送作家の部屋の構造とか、マンションの姿とか、そういうものへの想像力の流れ方はおそらく山口さんバージョンの方がより豊かだったろうと想像します。そこに確かに鮮やかに「その人」が存在すると、その人の周りにまで目が行きにくいという事情があります。「放送作家が番組を打ち切られるかも」という前提の辺りの落ち方は、多分今回にブがあったんじゃないかと。
比較できるもんじゃないんでしょうけれど、比較したくもなるので「一刻も早く」というよりは「しっかりと時間をかけてでも」体調を戻して、またエモーショナルな二口さんが見たいと思います。

何しろ素敵な公演でした。
明日までです。ぜひ。

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