「しみじみ地獄」「サザエさん」「神話」ニットキャップシアターのお芝居

ここんとこ本当に「インプット」期間で、先週末の芝居二つもそうですし、水曜日には高槻の飲み屋に、かんのとしこさんとスタンダップコミックのナオユキさんのイベントに行ってきました。こ。れ。は。バカみたいかっこよかった!僕の一人芝居もこういうレベルになりたいなぁと思っておるのですが…。ちょっと時間をかけて要研究です。ええ。

で。木曜日は念願のマグリット展からの、ニットキャップシアター「こんなにもお茶がうまい」を劇研で。マグリットもそうですね。ぱっとブログにまとめられそうにありません。ニットキャップシアターのことだけ書こうと思います。
<><><><><><><><><><><>

パンフレットといえば、映画や中、大劇場の演劇では入場料(チケット料金)とは別料金で売っているものなんですが、小劇場ではだいたいタダです。お客さんそれぞれが座る座席の上に「挟み込み」と呼ばれるチラシの束が置かれていて、で、その束の一番上とか、あるいはそれ全体を束ねるようにして「当日パンフレット」という呼ばれるペラの紙が入っていることが多い。「当日パンフレット(なんか変な言葉ですね)」にはキャストやスタッフの名前なんかとともに「演出家のご挨拶」みたいなコメントが添えられていることが常です。僕はこのパンフレットってやつを見るか見ないかだいたい半々ぐらいの確率ですかね。この「演出の言葉」が面白ければいいんですけど、つまんなかったり、中には言い訳くさかったりとかして、げんなりすることもあるからです。お芝居を観る前から言い訳聞かされるのってやじゃないですか。
この日、ニットキャップシアター見に行った僕はパンフレットを見なかったんです。開演の20分前には会場に着いていたのですが、他に読まなきゃならない台本があったものですから、そっちに目を通していて、折り込みチラシの束の方は椅子の下に置き、そうこうするうちに会場は暗くなり芝居が始まったのです。僕はそれから30分ほどで「あ、これは『演出の言葉』読んでおいたほうがよかったのかも!」と後悔をしたのでした。なぜかというと、芝居が始まって30分ほどで「あ、これは見方間違えてた」ということに気がついたからです。ひょっとしたら「演出の言葉」で「今回の芝居の見方」について触れられていたかもしれないなぁと思ったのです。ただ、今となってはそのパンフレットの『演出の言葉』がどんなだったかもわかりません。載ってたかどうかもわからない。というのは、劇場の椅子の下に、<読まなきゃならない台本>ごとおいてきちゃったから…。だから今から書くことは、パンフレットに書かれていたかもしれない、ごまのはえさんの言葉を読んだ人にとっては「全くトンチンカン」なことかもしれず、「自明のこと」かもしれません。ご容赦を。
「見方を間違える」なんて書くと「正しい見方」と「間違った見方」があるのか?なんて話になりますが、無論そんなものはなくて、意としては「より楽しく見られる見方」という程度のことです。照明の葛西さんがTwitterで「ごまのはえ版三人姉妹」なんてことをかいてらっしゃいました。もちろん直接的に三人姉妹のパロディー(?)であるセリフもありましたけども、僕は三人姉妹というよりも『サザエさん』だったと思いました。

「サザエさん」は、もはや時代劇(時代アニメ)なんでしょうね。もともと漫画ですから30分間のテレビプログラムの中で三話あり、それぞれ独立している。キャラクターはもちろん共通だけれど、その三話に因果関係前後関係はあまりない。一話完結のオムニバスと捉えていいものです。そういう「見方」をすればもっと楽しめたものを、「婚約者?付き合っている男の子」との関係がどうなるのか?というようなラインを追ってしまったために、「あれ?これはどこにつれていかれるんだろう?」と不要に不安になってしまった。つまり2時間弱の一本のストーリーを見るつもりでみ始めちゃったってことです。それはつまり「30分で一つのストーリーだと思ってサザエさんを見てる」ようなことです。これ単純に(脳みその)無駄なカロリー使ってしまうことになりました。始めから「サザエさんですから」って教えてもらってればもっと楽しめたなあと。そういう後悔をしたのです。
ニットキャップシアターは今回で30何回目かの公演だそうで、僕はトータルで…どれぐらいだろ?6~9回かな?しか拝見してないですから、良いお客さんとは言えません。その内で、ですが、なんせ「辛気臭い」ことを書かざるをえない人なんだな、ごまさんってのは。という印象を持っています。ただその「辛気臭さ」自体は信用できる気がずっとしていました。一言で言うと「しみじみ地獄」ってことかなぁ。初期の頃は「青春という名の地獄」であったものが、「家族という名の」「社会という名の」というふうに歳を経て実体験にもとずいて、地獄のバリエーションは増えてきているんだと思うんです。でも結局ごまさんは地獄を描いてて、「どうしたって世の中地獄」ってのはつまり「人間(私達)の心に地獄がある」ということなんですが、(多くの劇作家や小説家もそうなんでしょうけれど)その「心の地獄」を「悲惨すぎていう笑うしかないから笑い飛ばしてしまえ」という処理をしたり、さもなくば「過剰な暴力性や、不条理、ナンセンス(ブチ切れてる感じ)」としての提出することが多い。でもごまさんは実にシミジミしているのです。「しみじみ地獄」。笑い飛ばすでもブチ切れるでもなく、噛み締めちゃうのですね地獄を。そしてそれはすごく信用できる。辛気臭いのは僕正直嫌いなんですが、そこがなんちゅーか信用できるんですね。だっていくら「地獄だ!」って言い立てたって、なにがしかの折り合いを付けてやってるわけです。あたかもそれが「折り合いがつくはずもない絶対的な地獄」であるように描かれると、僕とかは、もう乗っていけない。結局「生きるって地獄だ」っていうのって、「生きるのって幸せだ」っていうのとあんまり変わりないわけです。態度として。生きることのしんどさどうしようも無さを俎上にあげることも、生きる上での些細な幸せを俎上にあげることも。人間の「汚い部分」を直視して露わにすることは意味のあることだろうとは思うけれども、同じように人間の「どうしようもなく美しい部分」もあるわけで。どちらも「人間」「生きること」に張り付いているものなのだから、「汚い方」にだけクローズアップする態度は、「綺麗な方」にだけクローズアップ態度と実は似ている。なんのかんのいっても人間は「折り合い」をつけていく生き物だし、そこにこそ人間性(人間の価値、美しさ)があるのだと思うのです。
なんせことさら「生きるって地獄だぜ」って言ってみたところでそれが何になる?という意識は確実にごまさんの中にあるのでしょう。それじゃ「生きてるっていいよね!」って言ってる安手のテレビ番組と変わんない。ただ「神話」というものとの出会いによって「地獄」がまた違う位相で表現もできる可能性がある。というのがごまのはえさんの、ニットキャップシアターの希望であったのじゃないかと思うのです。
古事記なんかを下敷きにした公演をしばらくやってらっしゃって、それも僕は2つぐらいしか見られてないのだけれど、これはやっぱり実に相性がいいのだと思っています。僕たちが神話を読む時には、基本的には「感情移入」というのをしない。「アポロン、がんばれー!」とか「大国主、かわいそー」とかあまりない。つまり「遠いところ、時の出来事」その距離感が「しみじみ地獄」を描くのにちょうど良い。という発見であったと思うのです。
今回は「神話」というのは表立っては出てきていないのかもしれませんが、結局のところごまさんが自分でオリジナルの神話を編纂し始めたということだと、僕は解しました。だから2時間弱の中にいくつかのエピソードがあって、それらはもちろん繋がってはいるんだけども「一つのストーリー」というわけでもない。はじめから「神話」として今回の「こんなにもおちゃがうまい」を見たらもっと楽しめたかも…。という話です。パンフレットに何が書いてあったのかはわかんないのですが。

「神話」の形を取ろうした結果「サザエさん」に着地した。と思うと「サザエさんは実は構造として神話である」ということや、「そういや、カツオや波平に感情移入しないな」とか新しい発見もあります。神話のスタイルが、ごまのはえさんの扱いたい素材と相性が良いのは間違いないのだとして、ならば、⑴今回の「俺は」「私は」と一人称で語られた箇所は「ノボルは」などの三人称であるべきではなかったか?という疑問は残ります。武田暁さんが山登りするシーンのように、語りと動きを分けたあり方が「神話の距離」で、「ノボル」を演じる俳優が「俺は」と言ってしまうと、これは近すぎる気がする。「伝聞」ぐらいが一番適切な距離感なのだろうなぁと思ったり。⑵なにしろこの続編を作っていただきたい!切に希望します。神話だとすれば今回のだけではエピソード数がいかにも少ない。続編が作られてナンボの作品だと思います。連続性は薄くてもいい。ノボルさんの息子のイジメられるエピソードとか、死んでしまっている双子のこどものころのエピソードとか。獄中日記とか。サザエさんみたいで良いと思います。基本的には独立してるエピソード。でも登場人物は関連性があり、サザエさんみたいに基本同一である。見たいかも・・・

ドンガメ君(だったっけ?また適当だ。怒られるな)というキャラクターが主役の連作を作ってらっしゃった時代があって、その時の主題は「青春という地獄」だったかと思います。それが「夫婦という地獄」「親の介護という地獄」というようにバリエーションを増やしてきてる。でも今回の最終コンビニでバイトするキャラクターなんてつまりドンガメ君ですよね。あれから時を経て、いま再び、今度は今回の三兄弟を中心とした神話の体系をこれから30年かけてごまのはえさんは作るべきだと思います(笑)ヒヅメさんと暁ちゃんは口説いて劇団員になってもらったほうが良いのじゃあないかしら?

コメントの投稿

非公開コメント

twitter
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
リンク