「許せないものをどう許していくのか」「テロと戦い続けている限り、テロを根絶することはできない」

お父ちゃんは死んだらいかんのです。
なにがどうあれ
お父ちゃんは死んだらいけません。
でもお父ちゃんもいつかは死にます。
でも死んだらいけません。

お母ちゃんも死んだらいけません。
おじいちゃんもおばあちゃんも。
ぼっちゃんやお嬢ちゃんはもってのほかです。
でもいつかは死にますね。困った。

何でしょうこのポエムは。本日は仕事をする気になれず、家族と過ごしました。
僕は、仮に自分の家族が誰かに殺されたとして、そのときに「悲しみが憎悪の連鎖になってはいけないとも思います。」と言える自信がありません。「復讐」に取り憑かれるに違いないと信じている訳でもないですが。

だからこそ、なるべく人が死なないこと
敵味方、自国他国、宗教宗派問わず、全体でなにしろ「人死にが少ない方法」を選択した方がいいと考えます。
「やられたらやり返したい」し「許せない」のもお互い様で、ならば「憎悪の連鎖」が終わるのは、
・相手を根絶やしにする。

・許す。赦す。(許される。赦される)

・忘れる。
か以外に方法がない。実際「根絶する」のは不可能でしょう。「テロと戦い」続けている限りテロを根絶することはできない。
「忘れる」のには時間がかかります。一世代二世代という長い時間が。能動的に忘れようとしても忘れられるものでもありません。

総理大臣は「テロリストたちを決して許しません」と言ったそうです。当たり前です。強く同意します。こんなことが許されていい訳がない。
しかし「許さない」のであればどうするのか?テロリストを根絶やしにできるのか?これは不可能ですね。いや仮にそれが可能だったとして、それが実現された世界というのは実に恐ろしい。
「異なる意見を持つある種のものを絶滅させる」というソリューションは、現実的でないだけでなく、幼児的ですし、仮にそれが成り立ったとしたら悪夢です。

許せないものをどう許していくのか。

「許せない」ものは「許せない」わけだから、上の問いでは解が得られない。
僕たちは実に難しい局面に立たされている。でも私たちの「許せないものを許していく態度」によってしか、私たちが(私たちがそう呼ぶところの)テロリストたちから「許される」こともないでしょう。

「許せないものををどう許していくのか」
今こそ哲学が必要だと思うのです。

田中遊


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