「キーを忘れた老婦人」終了しました

おかげさまをもちまして「キーを忘れた老婦人」無事に終了いたしました。

昨年の「夜の素」は随分と暗い話でして、そこから比べるとフッと浮かび上がったと言うか、明るいとは言えないのかもしれませんがふんわかしたお芝居になったと思います。


しかし10年前、一体誰が田中遊が「ふんわかしたお芝居」を作りえると思っていたでしょう。本当に。出会いというのは面白いものです。劇研アクターズラボで彼ら彼女らと出会わなかったら、勿論こんな台本を書くことはなかったでしょう。(これが「台本」と呼ばれるべきなのかどうかはさておきです)
今回、下野優希が主役(に一番近いポジション)でした。このことは、一つ、「劇研アクターズラボ」から「正直者の会.lab」を貫く文脈において、一つ大きな節目だろうと僕は思っています。
だからどうしたと言われても困りますが…。

人が歳をとり、やがてその記憶やら、日々自分の活動を律しているなにかががあやふやになっていくということは、僕にとっても、また同年代の方々にとって(言い方ごめんなさいね)実にホットなトピックスです。
自分自身の記憶力などもそうですし、自分、あるはパートナーや友人の父親が母親が、にわかに「ボケていく」

なるべくその事を温かい目で見たい。という自分の願望ですね。実際はもうそんなこっちゃ無いわけですから。

以前ならその「絶望」を台本に書くことはあっても、「希望」や「願望」を台本に描こうなんて、これっぽっちも思わなかった。それがなぜなのか?今となっては良くわからない。その事情が。10年前の自分のことが良くわからないし、10年前の僕にも今の僕は理解し得なかったろうと思います。「若かった」なんて言葉で説明するのは、当時の自分に失礼だと思うんですね。それぐらい「別人」なんです。これで僕は、実に豊かに歳を重ねて来れているのかもしれません。

あるいは既にボケが始まっているだけのことかもしれませんが…。

日々の些事に驚きながら日々を送っていけること。それほどに平和で豊かなことはないのです。


うまくまとまりません。でもとてもいいお芝居であったとは思います。
僕らがやりたい手法、ってのは実に複雑で自由なものです。シンクロし、屹立し、全体が関係を切らないで、シーンや風景を立ち上げる。言葉、声、体の絡み合い、セッション。その複雑なセッションを乗せる為の下敷きには相当「シンプル」なものが必要で、今回のもともすれば幼稚な展開の物語でした。

「手法」に面食らって、引いちゃうお客さんもいましたし、「物語の幼稚さ」に興味を持続できなかったお客さんもいました。

でも、それでも伝わった部分が少なからずあったということ。これはすごいことだと思うのです。セリフも役までもを細かく分断し、それを使ってセッションしていく。
だからこそ「フワっと」立体的にお客さんに提示できる何かがある。と、これは.labに限らず正直者の会として、田中遊として考えている、いわば基幹の部分なのですが・・・

決して突貫ではできない作業だと思っています。正直者の会.labでないとできない公演でした。
関係者の皆さん。ご来場いただきましたお客様ありがとうございました。

また来年お会いできますように。

「夜の素」がOMS戯曲賞でええ線いきますように。



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