スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

戯式vol.1三重公演まで終了していました。→一人芝居の極意と、反対の意見を持つ人を単純化してしまうこと

おかげさまをもちまして、久々の一人舞台は無事に終了しました。
でもアレです。9月末ごろにまたお目にかかれるように準備していきます。宣言通りちょっと続けていこうと思っているのです。応援して下さいませ。

いやー。三重でも暖かく迎えていただきまして、一人芝居の三本立てが2プログラムってことだったのですが、これって面白い企画ですね。とっても有名な企画なんですよ。

http://independent-fes.com

残念ながら僕はBプログラムのトリだったのです。いやトリにしていただくこと自体は、身に余る光栄なわけですが、じゃなくてね。余裕が無いものだからおっちゃん。Bプログラムの僕以外のお二方の一人芝居を見られなかったんです。それが残念で。(ラジカセのお世話とかいろいろあるんです。)
二日目、出番が終わってから、Aプログラムの三作品は堪能させていただきました。
もう客席で「戦友」感が半端ないんですね。もう大声援を(心の中で)送りながら見るものですから、そりゃ楽しくって。
一本目の田中みなさんの作品は舞台全面にプロジェクターで映像を出す時間が沢山ありました。俳優さんの動き、表情と映像情報が重ねられるという演出。最近こういうのも増えて来たんだよって、油田さん達から教えてもらって、ふえーって。youtubeとかでプロジェクションマッピングと、ダンスとかパフォーマンス(曲芸とか)を組み合わせたのは見たことがあって、美術の方でもそう言うのってチョコチョコとは見たことがあったけれど、「ガッツリ一人芝居」と「映像」を重なれてたのは見たのが初めてで、「あぁ、そういうこともできるんだぁ」って思いました。田中さんは体が良く動いて、でもその動き程「キレ」を感じられないのは、呼吸なんだけれども、演出家の人が、そういう「俳優の身体」よりも、映像の方に興味があるのかもしれないなぁと想像してみたり。だとすると、少し(前置きいらないけど、僕個人の考えとしては)残念だなぁと。もったいないというか、少なくとも、一人芝居って、「そこで一番特をする形態」では無い気がするので。
二番手の岸さん、トリの永島さんは、もう、「目から鱗」「脱帽」でした。
あらためて「一人芝居」について思うことは
まず
「コイツは、ちょっとマネできんな…」という、人(俳優)へのリスペクトが「前提」としてあって、
それを「リード」「ガイドロープ」として、どこまで、どこにお客さんを連れて行くか?
ということだと僕は認識しているのです。

普通のお芝居以上に「欠損」が多くある。僕みたいに姑息にラジカセ何台も置いたり美術使ったりしなくても、「体一つ」だってできる。じゃあもうその時、その世界の中にあるべき「俳優の体以外の全てのもの」が欠損しているわけです。
その空白、ブランク、溝、隙間に、観客が想像力を流し込むわけです。ケーキの型にキジを流し込むように。コーキング材を充填するように。
そうしてようやく「世界」が立ち上がる。

で、その「想像力」は、果たしてどう発生するか?というと。これはですね。「好き」ってことからしか出て来ないのです。

自分の好きな物に対しては、人はもうめいっぱい想像力を動員します。これは「恋愛論」でも触れたことですが、そうなんです。何かを好きなると、それに対しての想像力は、ドンドンと湧き出てくる。溢れてしまうんです。
「好き」「尊敬」そういう正の感情ですね。
逆に「嫌いなもの」「どうでもいいもの」に関しては、想像力を出し渋るんです。ってか、出て来ないんです。空になってしまう。まして「想像がついてしまうもの(想定内)」「わかること」「できること」に関しては、もう想像する必要がないわけですから。

だからまず一人芝居の俳優は「好きになってもらう」「『コイツすげー』と思われる」ことが必要なんです。「わからない」ということを「わからんし、知らんわ」じゃなくて「わからんから知りたい、想像したい」にするにはそれしか無い。

おおよそ社会の面倒くさいことや摩擦というのもここに起因しているんでしょうね。だからといってどうしようもないですが。
僕たちは、好きな人、同意見の人、に対しては、想像力を注ぐことを惜しみません。
「あぁ、あの人はここでこんなことを言っているけれど、決してこれは本心からではないのだろうなぁ」とか
「もちろん、そう言わざるを得ないけれど、内心忸怩たる思いだろう」とか。
少なくとも自分と同程度に「複雑」で「わりきれなく」て「両論併記」で「なやみこんでしまう」ような、そういう正しく人間的な人間を設定します。

で逆にこれが自分が嫌いな人たちや、反対の意見を持っている人については、想像力を注ぐことを惜しみます。オートマチックに。だから自分と反対の意見を言う人をすぐに「単純化」してしまう。

バカじゃねーか?
とか

僕のことしか例に挙げられないので僕のことで言うと、「原発をそれでも維持していこうよ」って言う人達について、僕はすぐに単純化するんです。僕と意見が違うから。彼らに対して想像力が出て来ないんですね。
「集団的自衛権の行使を容認しよう」という意見の人達を、僕は単純化しています。「戦争好きなん?」とか(いやそこまでじゃないが(苦笑)

私たちの唯一の武器は想像力です。ジョンレノンのそんなふうに歌ってたから多分そうです。
演劇はうまくするともっとその事をアピールできるかもしれません。

想像することは、そのまま全て肯定されることじゃないでしょう。
「あ、アイス食べようかな?」
「でもアイス食べてお腹壊すかもしれないな」
「でも『当たり』がでるかもしれないぞ」
「でも、当たりの分も合わせて二本食べたら確実にゲリピーじゃないか」
「いや、それはそれでダイエットをしたい私としては好都合かも」
「しかし、今気になっているあの娘が「デブ専」でないとは断言できないわけで」
「そんなことをいったら、あのレジに立ってる女の子と恋に落ちるのはもう必然といってもいいぐらいじゃないか?」

てな具合で、「何にも言えなくなる」「何もできなくなる」
想像力を膨らませて、どっち付かずで優柔不断になって、で、結局何もしないなら。どっかでスパッと!わりきらなきゃ。
うそでもなんでも、想像力のスイッチをきって、デモにいきなよ、Retweetしなよ、シェアしなよ、って。まぁそれも真理でしょうね。それぐらいなら、実際僕も、自身の微妙な天秤でRetweetしたり、スルーしたり、デモに行ったりするわけですから。

しかしことが「アイスを買うかどうか」は僕一人の話です。そんなら考えすぎてないで、思い切ってジャンプインすればいい。飛び込めよって。ね。

でも僕一人のことじゃないことが、世の中ほとんどですもんね。

・・・・・

最終「中取る」しかない。(これは内田樹さんが良くおっしゃることですね)論理的にそれ以外にソリューションがない。だって「意見が違う」んだから。
となると、あとは「どれだけこっちに寄ってもらえるか」ということです。
で、例えば自分ならですよ。

「あぁ、コイツは俺とは正反対の意見だけど、それなのに、そんな俺のことを、結構考えてくれてるな。ずれてるけどわかろうとしてくれてんだな」って相手には、いくらか歩み寄ろうって気にもなります。
でも
「あ、コイツ俺のこと、『こんなやつ』っていうテンプレにはめてるな=人として見ていない、記号化してやがる」と思ったら、お互いの半分(50:50)までは理屈として譲ったとしても、その先は一ミリも譲らないでしょう。というか、そんな空気の中決まった折衷案って、多分いくら理屈で通ってても、長くは保たんでしょうし。


疲れながら文章を書くとあまり良いことがありませんね。
一人芝居の話してたはずなのに…

岸さんのは初手から「目線の先」がピックアップされます。多分一人芝居を、よくよくご存知というか(僕が知らないだけで初歩なんでしょうね)「彼が何を見ているのか?」が気になって、そうこうする間につり上げられちゃう。フックってことです。「見えないもの」「聞こえないこと」と「見えてるんだけど、嘘みたいなこと(マジック)」との組み合わせです。見事でした。後半のほうが「見えないもの」が少し軽かった気がしました(そこがどこなのか?どんな店で、相手がどんな人で(女?男?とか)そこは続編の難しさなのかしら?とか。「ウィザードリーマンの全編後編間の違い」にパワーポイントを置かざるを得ず、その為に押し出された物達は、実は押し出しちゃいかんかったのかも…。とか。
永島さんのは、諸手を挙げてです。すんばらしい。実はこれ、本当の単純なカロリーで考えると、一番手の田中さんと変わんないかもしれないのです。でも「キレ」や「見た目の消費カロリー」はダンチなんですね。これは「向き合い方」だと思うのです。俳優が一人芝居の舞台上で「何に向き合うか」。これは「劇世界」の場合もあるでしょう。ただ、永島さんは「劇世界と直面してたか?」っていうと、これはそうじゃないと僕は思うんですね。心肥大だかの女子高生の心性に如何に彼が肉薄していたか?ということではない(ナンセンスです)。逆に彼はおおよそそんなことには見向きもしないでただそこに「あのようにあろう」とした。その美しさと強さだと思うのです。
向かうものを定めた心は、そのような「呼吸」を求めます。「そのような呼吸」と「そのような動き」がそこにあると、実に人の体は瑞々しく見えるものです。「キレ」というのもこの一つですし、「伝わる台詞」というのも同じです。永島さんのの何が良いって、一番良いのは「彼の他の芝居を見てみたい」って思わせることだと思うのです。そこにすごく作り手(作演出家さん)の腕を感じで、もう合わせてノックアウトでした。

あぁ。bプロの二つも見たかったよぉ…
bプロ2番手を勤められたおぐりさんはインディペンデントの予選を勝ち上がられております!すばらしい。

最後に三重公演での写真を何枚かご覧ください。

以下の写真は
INDEPENDENT:TSU 津あけぼの座スクエア 撮影:西岡真一
です。

IMG_9488.jpg

IMG_6256.jpg

IMG_6269.jpg

IMG_6242.jpg

コメントの投稿

非公開コメント

twitter
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。