「今ここ」と「インプロ」とfbやtwitter

桜も残す所あとわずかの京都です。
ほっとくとブログを書かなくなってしまいますねぇ。これは「何も書く事がない」時ではなくて「書きたい事が沢山あるとき」に発症します。

またダラダラと続けていきたいと思っています。

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もう十日以上も前になってしまいましたが、トランク企画さんに出演させていただきました。本番の前日だかにいいわけしていた通り『積み重ね』が無いものですから、どうにも「ハーフスイング」な感じになってしまったのが個人的な反省点です。もっといろんな感情、いろんな声、いろんなキャラクター、何より舞台上をいろんな場所にしたかったなぁ…。で、できたと思うんだよな。ってそりゃあとからならいくらでも思いつくわけで、そこらへんがラップと似ているわけです。
トランク企画さんに呼んでいただいたのが今回で3回目でした。ようやく「悔しい」と思えるようになって来たのは、少しだけ進歩かもしれません。

りょーちんとの出会いはとても刺激的でした。
雅子さんは基本的に「平飼い」の人なのです。これは「放置」とは少し違うんですけど、そこんとこ誤解されると「キムラマサコ批判」と捉えられかねないので、りょーちんの話よりもまず先にこの「平飼い」について。

木村さんの現場で、「もう、大丈夫ですよね」とか「遊さんはもう、何も心配ないですね」とか「頼りにしてます」とか言われるわけです。僕がですよ?それはおかしい事ですよね(笑)いや、まあいいんですが。「どうしろ、ああしろ」という事はないんですね。(ま、そもそも即興ですから、個別具体的なディレクションは入り様もないのですが……)
「放っておく」「泳がせておく」というような在り方は台本の芝居の演出家さんでも沢山いらっしゃいますが、そういうことをここでは「平飼い」と表現しています。

で、この「平飼い」は、ただ放置しとくだけなので、「手がかからなくて、こりゃ楽だ!」とそんなわけはないわけでして。
「平飼い」できるスペース、広場、の整備がなされていないと、これは不可能なのです。
鶏をゲージじゃなくて広場に放つと。のびのび育ってええ卵生んでくれよと。
それが可能な為には「野良猫が入って来ないように厳重に柵を施し」「病気がはやらないように、清潔に保ち」「コケて怪我しないようにある程度の整地をし」等々。
つまり「放し飼い」をする為には、その「場所の整備」に相当な労力が必要とされるという事なのです。
「場所の整備」という事に関して木村雅子さんは相当秀でている。これは多分彼女のワークショップなどを受けた事のある人ならわかると思うんですが、僕は横並びの、つまりワークショップの助手で入ったり、またその逆で僕がメインで木村さんがサブに回ってもらうとか、することもあるものですから、余計にわかるんです。
ちょっと異常な感じです。多分それこそ才能なんだろうなぁと思うのですが、端から見ると「たいして何もやってない」様に思えるのに、でも確かに「その場の空気」が柔らかくって、「何か楽しい事を生み出そう」という感じになっちゃうんですねぇ。で、その事が「平飼いの場の整備」ってことです。それができちゃう人なんですね。

で、木村さんはそうとして。
ただ僕としては、藁をも掴む気持ちな訳です(だって、即興で芝居しろ!って言われてんだから)だから、「具体的なアドバイス、方向性」等が貰えると、とても安心だし、またそれを「一手目」としてやってみて、ダメなら「方向をずらした二手目」という風に組み立てがしていける。
その意味で本番の数時間前に初顔合わせしてから、正味2時間程のリョーチンさんがリーダーでの稽古はとっても僕にとっては刺激的でした。(それを本番にいかせればもっと良かったのですが…)

彼は「シーンの目的」と僕が捉えていたものに別の切り口で名前を付けて、その重要性について説明してくれました。
それは「原因」です。

「その人は『どうして』そのようなのか?」という事を考えていくと、自然とそのシーンのコアが浮かんでくる。
言われてみると、あーそうだよなーと。思うんですが、これがやってくとなかなか。ね…。


でも結局の所インプロの「質(たち)の良さ」ってのはここに尽きる気が僕はしているのです。
雅子さんが以前おっしゃってたのですが(おそらく海外にワークショップを受けにいかれた時にそこで出会った人が言っていた事みたいな事だったと記憶してますが)、インプロでシーンをやって、つまり即興で例えば二人で会話をし始めて、「三回ぐらい言葉が往復したら、もう、そこに『シーンの目的』は出て来ているはずなんです」だそうな。

なるほど。
しかしこれは、逆説的にとらえるべきことでしょう。つまり

a/おはよう
b/おはよう
a/元気?
b/うん。アーでも…
a/なに?体調悪いの?
b/体調っていうか……

という最初の(三往復の)会話があったとして、「ここには既に、必ず何かの宝物が埋まっている!」というようなこと。
ではない。のだと。

事情は逆で
「どんなにくだらない、どんなに意味のない(様に思える)、三往復の会話でも。それをじっと見つめるまなざしと、あと少しばかりポジティブな体勢(それがyes andということなんだろうけれども)を持っておれば、そこそこ「おもしろがれる」「おもろい事をでっち上げることができる」
という事だろうと、僕は思っています。
そしてこれは実に素晴らしい事だと僕は思っているのです。

「ありもの」から最大限の「楽しみ」を引き出してしまえる技術。それはたいして複雑なことではなくて
よく見て良く聞く事。(その為に「開いた状態」である事。)と、「楽しもうとする事」と、ちょっとしたコツ(yes andとか、決められる所はもう決めちゃうとか、質問はなるべくしない等々,インプロのテクニック、コツですね)

だからtwitterとかFacebookとかで「今ここ」を薄めるのはもう止めにして、みんなインプロすればいいと思うよ。

「今ここ」をおもしろがれれば、それはもう無敵なわけですから。

これは僕が俳優向けのワークショップをする時に言う事にも実は通じるものがあります。
「俳優はいいですよ。つまり『趣味=自分』ということなので。自分の声や話し方。姿勢や、歩き方。感情の動き、顔の表情。何に怒り、何に悲しむのか?そんなことをつぶさに観察し、できうる限り細緻に制御し出力する。そんなことを『面白い」「やりがいがある」と思えるのであれば、こんなに幸せ事はない。だって、コストゼロだから。何かを買ったり、どこかに行ったりする必要すらない。あなたが死ぬまで、あなたは「あなた」と一緒にいるから。」

そこの部分で、僕はインプロと繋がっていられると思っている。「良い俳優であっても良いインプロができるとは限らない。ってかむしろ俳優はインプロに向いてない」なんて事がまことしやかに言われているが、それは違う。

「今ここの私(の状態)」を細密に感じれば。感じることができるものだけが、
そのような、ややこしい存在=「複雑な流れ、連鎖反応(その現れとしての)人間」が、「自分の他にもこの同じ空間におるやないかい」ということに気がつける。(自分の事を「ふんわり」としか観察できず「だいたい」でしが出力できないものは、他人に対しても同じぐらいの目の粗さで捉える)

『「今、ここ、私、あなた」を煮詰める』というのが、インプロの骨子だと僕は捉えている。(そして、それは素敵な事だと思っている)だから、俳優もやればいいと思うし、みんなやったらいいと思う。
みんなやってうまくいかなくてへこめばいいんじゃないだろうか(笑)

まとまりのない文章ですいません。いつものことですね


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