「演劇」=「わざわざ」

まぁ案の定というかなんと言うか、.labの台本の下敷きになる小説モドキが完成しない。「昨日までに完成している分」を「ケリ」する所存であったのだけれどもあんまり中途半端なので、もうちょっと書き進める事にしたいと思う。

僕はどうして、芝居の台本を書く為にわざわざ「原作の小説(モドキ)」を書く所から始めなくてはならなくなってしまったのだろう。でもその方が面白いお芝居ができるって知ってしまったので仕方が無い。

創作現場で「解体する」為の、「構造物」が特に正直者の会.labには必要だと思っているのですね。「壊す為に作ってる」ということなんです。(もちろん壊してばらけたパーツを再構築する。その為に解体するわけです)
その「壊すもの」それはどこかから借りて来たものでもいいですよね。昔の誰かが書いたお話とか。そのほうが「さばきがい」もあるのかもしれません。「僕が書いた物語」なんてものはですね、既にどっかの誰かが書いたり、語ったりしたものだろうと思うのです。僕は本当に不勉強ですから、知らずに「カブって」いたりもするだろうし、「以前に見た、読んだ作品の影響」をガッツリ受けている事もあると思います。でまた根本的に「全ての新奇なるものは忘却されたもの」という、言葉を僕は素直に信じていまして、「オリジナリティー」というのは「思い違い」か「確率の問題」だと、そう思っています。であるなら、何でわざわざ「原作」を自分で書くのか?というのが益々わからなくなりますね。

なんでかな……?(笑)もったいないですね。
あ、うん。きっとそうですね。僕は今でもナイーブに「芝居」を「効率」と対置しているのだろうと思います。

もったいなければもったいない程「演劇的」だとそう感じてるんでしょうね。バカみたいですねぇ。
でももうこれは「そう考えてる」わけでも「そう思ってる」わけでもなくて、僕が20年(!)近くそのように「演劇」というものに意味付けてつき合って来たわけですから、今更どうしようもない気がしています。

いつの日にか「効率的な演劇」は、到来するのでしょうか。あるいはもうしているのでしょうか?

「演劇」ってなんですか?と聞かれたことはないですが、今んとこ思いつく、それでも一番しっくり来る言葉は「わざわざ」ですかね……

「演劇」=「わざわざ」

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