しのはら君/一人芝居

しのはら君。だったと思う。
中学校の同級生だ。本当にごめんなさい、名前は違っているかもしれない。つまり僕と「(仮称)しのはら」君はそれぐらいの距離感だった。

「友だちではない」

という言い方をすると、どうにも冷たいと言うか硬質になるけれど、他意はない。誰だって「仲の良い同級生」がおり、また「ほとんど会話する事もない同級生」もいるだろう。僕にとって、しのはら君は中学の三年間でおそらく一言も会話をしなかった、そういう「ただの同級生」だ。
ではなんでその「しのはら君」について書き始めているかと言うと、どうにも彼が印象的だったから。


授業と授業の間。休み時間。になると、彼は校舎中をまるで巡回するように歩き回っていた。彼にずっとついて歩いたわけではないので、本当に彼が「巡回」するようにまんべんなく校舎を歩いていたのかどうかはわからない。けれど見かけた時には彼は常に廊下を歩いていて、且つ、手を壁に着けていた。

うまく説明ができない。

例えば、電車のパンタグラフが常に電線に触れているように。彼の「ルール」だったのだと思う。
彼は常に左右どちらかの手を壁と接しながら、校舎の中を巡って歩いていた。パトロールするかのように。彼の姿は二階でも三階でも学校の校舎内の至る所で見かけた。

横断歩道の白い所。マンホールや歩道の縁石。そういうものを「踏んで歩くルール」は小学生の僕らの多くが共有していたルールだけれど、おそらく、しのはら君はそういう種類の、且つ彼独自の「ルール」を中学まで持ち上がって来ていたのだと思う。

ご想像の通り、しのはら君は同級生から気味悪がられていたし、その気味悪さ=「違和」を解消する為に同級生たちは笑った。僕も多分。

しのはら君は、何の為に、どう言う理由で「壁に手を触れながら、校舎中を徘徊せねばならなかったのか」はもちろんわからない。
でもひょっとしたらあの行為によって彼は地球を破滅から守っていたのかもしれない。

子供の頃。「原因と結果との関係」、つまり「因果律」が、今よりももっと複雑で弾力的で、つまり豊かだった。
儀式やジンクス。そういうものの持つ「一般性を持たない因果関係」(靴を右から履くと、怪我をせずにおられる、だとか)は、その独自性、「唯一」性(?いかに他のものとかけ離れて「オリジナル」「独特」であるか)によって、その「効力」を高めるように思える。他人にうまく説明できないことほど、効きそうな。説明不能であればあるほど確かさが増すような。

儀式的な一人芝居を作ろうと思っています。

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