締め切り間近なのです。正直者の会.labメンバー募集

再三再四の告知で恐縮です。正直者の会.labのメンバー募集とそれに伴うオープン稽古が残す所2月24日(月)の一回となりました。
ご興味をお持ちいただいた方はぜひぜひお越し下さい。

メンバー募集詳細→http://www.syoujikimono.net/syoujikimono.html#then1

稽古の様子など→ブログ


でもって本日もお稽古でした。去年からやっている「呼吸に合わせて動く」「動きに合わせて呼吸する」というようなエクササイズがあるんですが、やってるなかで、少し発展させたゲームを思いつき、それをやってみる事に。これが結構ヒットで、随分と楽しくできました。やって行くうちに、「あぁ。これって、随分以前にやってたゲームの裏返しみたいな事なんだね」って気がついたり……。

ここ最近の私たちのテーマは「私は『全体』であり、同時に『一部』である」という体感をどう持つか?また持ったらばそれをどうキープするのか?というような所です。

最近は東山いきいき市民活動センターの会議室を稽古に使わせていただいているんですが、例えばそのお部屋をですね、その全体を「自分の体」だと想起してみる。
今日であれば、僕と渋谷さんと宮川さんと下野さんの4人だったわけですが、その四人が部屋の中をランダムに歩くとします。そうすると……

僕の体の中に四つ球があって、手の指先やら太ももや頭やらいろんなところをうろうろしている。

というようなことですね。

これはどう言う事かと言うと、「全体の衝動」と「私(一部、個)の衝動」を重ねてしまうってことなんです。

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ミラーゲームというものがあります。これは言葉の通り『鏡」になるんですね。二人で向き合う。で片方の動きをもう片方がかがみ合わせになってマネをする。

でもこれは「片方の動きをもう片方がマネをする」ということでは実はないんです。「実はない」って言い方はちょっとおかしんですが、「神髄」といいますか(笑)いっちゃんキモの部分はですね(「一番楽しい所」と言い換えてもいいのですが)まさに「合わせ鏡」みたいに「無限に行き来する光り」「無限に影響し合う」って所にあるんです。やりこんでいくと「真似している方」も「真似されている方」も、ほとんど「同じ作業」になってきます。けったいなもんで。やってるうちにどっちが「真似する方やったっけ?」ってわかんなくなったりします。
なんでかというと「鏡になる」「鏡である状態」を「その二人の是とする」とですね。お互いに協力しないと難しいわけです。真似される側(aとしましょう)が「私勝手にやります。あんたよく見てついて来て下さい」では「正確に鏡の状態」二なる事は難しいですよね。
まずもって厳密に言えばaは「動いちゃいけない」んです(笑)だって「動いて」しまうと、それを見てマネをする人(bとします)は必ず0、何秒かずつは遅れてしまうから。「動きを見せて、それをまねさせる」ということでは既にないのです。(いや、厳密に言うと、っていう思考遊戯ですからね。でも思考遊戯だけれどそのつもりで体を動かすと、変わってくるんです。それぐらい体の運用というものは「感覚的」なものなんだと感じています。『言葉づかい一つ』で変わってしまうものだと思うんです)
じゃぁ、aはどうしたらいいか?『「動く前」を伝える』ってことですね。「衝動」です。「なんか、右手を上げたいぞ、俺は今!」というような衝動。あるいは「左半身がなんか固まってコンクリみたくなって来たんだが……」というような衝動。こういう「イメージ」の様なものをアイコンタクトでなんとかつたえ(ようとし)て、なんとかかんとか動き出す。一度動き出したらば、その中で「傾斜、偏り」が生まれますから、それを丁寧に感じて「それを感じているよ」ということを伝える。例えば右手をぎゅーっと全力で握っていたとしたら、「だるくなってくる」。そのだるさから次の動きに、例えばスット脱力する動きに繋がって行く、だとか。しかしこれはb(真似する方)がその「だるさ」を感じているか?共有できているのか?を確かめておく必要があります。(でないと動きがずれる)
つまり真似される側にも「真似する側(bとします)が、今どんな体の状態でいるか?次にどんな動きが来ると予想しているか?しやすいか?」ということを観察する事が求められます。更にもし本当に「完璧な鏡状態」を作りたいのであらば、「Bがこの先動きやすかろう、あるいはそう動くであろう動きをA自らがしてやる事」がもっともその確率があがる最善の方法なわけです。
こうして考えると「相手の動きを観察して、その先に起こるであろう動きを予測してそのように動く」というのは「bの仕事」だ。というのは浅薄な捉え方なんですね
その上にたてば、他方b(真似する方)も「今自分の身体の状態が、どのようにあるか?自分の身体はどう言う衝動をもっているか?」ということをaに伝えることが、より「鏡」への可能性をあげることになります。これはまさに(浅薄にとらえたときには)aの仕事だったことです。

で、結果「真似する方も、真似される方も、やってる事は一緒」というけったいな状況が生まれるわけです。

「自分の操縦桿を半分手放す。」「相手の操縦桿を半分握る」という感じなります。自分の操作を解放する。自分をコントロールする事をやめて相手に委ねる。相手の操作によって(影響を受け)振る舞う。と同時に相手の解放されている部分を自分が支える。
そしてその基幹となるのが

「相手の衝動」を自分に取り込む

ということです。すなわちそこでは「まねる方」も「まねられる方」も似たような事を感じて似たような事をやっている。
そこにある衝動は

「相手の衝動」であり同時に「自分の衝動」である
で、言い換えるとそれが「その二人の空間の衝動」「関係の衝動」ということになるかと思います。

これをミラーゲームという一対一の関係から
「空間と私」という関係に代入すると、

「空間の衝動」であると同時に「私の衝動」である
ってことになります。
「空間の衝動」というはなんだよ!?って、そりゃいろいろあります。例えば「(全体的に)少しずつテンションが上がって行っている」という様なことだったり。「乗っとけっ!」っていう風に「私」もテンションをあげて行く。大っきな流れに合流して更に大きなうねりにして行きたい←という「衝動」もあるでしょう。でも逆に、そんな中で一人静謐に存在して屹立すべき←という「衝動」もあるかもしれません。
立ち位置などもそうです。空間の中で、他の人がどこにどのような分布をしている状況で、自分はどこにいるべきか?

これらは「自分の衝動」であると同時に「空間の衝動」でもあるんです。
でこれを「空間の要請」と捉え違うとうまくない。

「衝動」と「要請」の違い。
それを「要請」だと感じてセッションする事は、
ミラーゲームにおけるa「相手にまねる素材を提供する」b「相手の手足の形をまねる」
の感じ方。捉え方→体の運用の仕方です。(よね)
「要請」と「衝動」は別のものです。だから「重ならない」んです。同時に扱おうとすると「右手で要請をさばきながら、左手で衝動を持ち上げる」というような、とてもしんどい感じになってくる(事が多い僕の場合は)
※再度。言葉づかいの話です。俳優の作業はとってもマルチタスクですごく沢山の事を同時にこなさなくてはなりません。で、その厄介な仕事をするにあたって、どう言う言葉づかいでそれをつかまえておくと「気分よく」できるか?というようなことです。でこれは、たかが言葉づかいで、随分と変わってきます。とっても「しんどく」なったり逆に「楽しくなったり」※個人の感想です)
あっち見てこっち見て、ってなるとせわしなくなって、イライラしてくるので、もう重ねてしまうんです。アニメのセル画ってわかりますかね?なんかそういう透明なシートに書かれたその二つを重ねちゃうんです。「要請」と「衝動」では無理でも、「衝動」と「衝動」なら似てるんで重なりやすい。また重なりやすいように、「部屋全体が自分の身体」である。同時に「自分はその中に居る一部である」というような、空間と自分に対しての捉え方をするようにする。フラクタルに近づけるという事だろうと思うのです。
空間自体に「そうなりたいっ!」という「衝動」がある。なんか素敵な絵が、絶妙なバランスの、気の利いたタイミングで、イリュージョンみたいな展開に……。(求め過ぎですね)まずは、単調にならぬように。メリハリを効かしたい。

そんな「空間の衝動」と「私の衝動」を重ね合わせること。
いや、今日の四人のセッションは本当に楽しかったなぁと、思い出しながら書いていると長くなってしまいました。

ぼちぼち、書き出さなくてはならないものもたまって来ています。頑張らなくてはです。

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