浣腸

便秘でございます。どうも本当に「冬」というものに生存適正が無いらしく、イライラするし肩は凝るしストレスから過食気味になってあげく便秘ですよ。

本当に僕はこれからずっとなんかしてゆきたいのです。許されるのであれば。(許されやしないけど、金銭面で)
一年ごとに緯度の低い方へ低い方へと引っ越して行ってですね、50代ぐらいではもう日本の最南端ぐらいにはいたいなぁ。その後も南下を繰り返しまして、最期は赤道直下で太陽に灼かれて死にたい。そう心より思う所存です。

「ふんづまり」なのは言葉も一緒でして、ええ。(自分の言葉をうんこに例えてますからね。ひでーや)
ブログなんて到底かけないでしょ?これはもう一本グソです。立派なね。言うたらですよ。
twitterみたいな、このなんちゅーか、ぽろっとしたヤツ。「鹿か!?」っていうようなやつですね。こいつも放(ひ)り出せんわけです。

うんこと言葉は僕の場合似ています。(そんなバカなと自分でもおもいながら、ええ。でもそうなんです)
溜め込んで放っておくと、あとからあとから圧力がかかって来てどんどん固くなっていくんですね。

外に出されない言葉や思考は何度も何度も頭の中で反復されて、それでどうにも硬質なものになっちゃうのです。
(「硬質な文体」なんて良く言いますが、それとは多分少し違うのだろうと思います。僕には「硬質な文体」というものがどんなものかということが、まずうまく掴めていないし、でも「それとは違う」と多分思うのは、いわゆる「硬質な文体」が出来上がる過程が「生産過程」なのに対し、僕の「言葉の便秘状況」とは単純に「症状(病状)」だ。と僕が思っているからです。)
何度も何度もその道を通っているうちに、きっと踏み固められてしまうのですね。踏み固められたそれは「論理」といって(他人と話をしたりするときに)とても便利なものなのですが、なんでしょ?あんまり舗装されすぎるとつまんないんですね。それにどうせどんなにきれいに分厚くアスファルト舗装された道路でも、「裏返る」ことはあり得るのです。あり得るというよりは、オモテがあれば裏があるわけですから。僕が「当然。絶対」って思っている事は、僕の裏側のシチュエーションの人にとって「あり得ない」ことなんですものね。

何を言っているのかわからなくなってきました。
浣腸というは、とにかく強制的に「出す」ということです。なもので、すいませんね。

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5日(木)

デモに行ってみる。人生初デモ。
本当にまさか自分がデモに参加するとは思ってもみなかったなぁ……

不安なのです。
だから。ちょっと「ある問題」について気の合いそうな(みずしらずの)人達と
「待ち合わせ」
をしてですね
「ちょろっと散歩」
した。と。
そういうこと。なんです。最近流行(?)のフラッシュモブに近い感覚かもしれない。

気の合いそうな見ず知らずの人と待ち合わせて、ぶらっと一緒に散歩する。
そんな事で、何かが変わったり良くなったりする。なんて、僕には到底、思えなかったんです。
そらそうですよ。僕がやった事は、その日の朝にtwitterで流れて来た情報を見て『お、芝居見に行く前にちょうど寄れんじゃん」と思い至り、「待ち合わせて」「歩いた」だけですから。
「選挙で勝つ為に」ということを日夜考えている人達はですね、もっともっと多くの時間と労力と知恵とを使って、日々を過ごしているはずなのですもの。使っているカロリーが違いすぎる。
でもデモが「無意味だ」とは思いませんから、参加したと。

そのあと観に行った行ったトランク企画で山口茜さんに「子供できて変わりました?」って思いがけず聞かれまして、「そら変わったなぁー」って。うん。

トランク企画は面白かったです。初日に拝見しました。もちろんもっと「できた」とは思うのですが、演者、パフォーマー全員が「楽しもう!」という意思を明確に持ってやっているので、「出来不出来」「完成度」ってのは気にならないのです。まずはそういう「場」を作れる木村さんの手腕というかキャラクターが素晴らしいという事なのでしょう。
なんせ、本番の木村さんは一切当てにならないですからね(笑)木村さんが一番当てにならない。勿論それは彼女の計算ずくの事なんですが、その事によって、彼女以外のプレイヤーが「自分で楽しくなろう」とするベクトルを強くするんだと思います。

前にも書きましたが「台本の芝居」に慣れている俳優は、まず「ここがどこか?」が提示されたら、すっとその「世界」を作れます。どうしても「何が起こるか?」「どんな展開にするか?」という所で「私がアドバンス(ドライブ)しなきゃ」となっちゃうのもまた「ダイホン芝居」の俳優に見られる症状ですね。
その意味で真野さんってクレバーだなぁって。(失礼ながら)今まで僕は彼女の本質を見てなかった気がして、すごく嬉しくなった夜でした。もちろんめったにみられない山口さんの役者姿とか、紙本いきいきしすぎとか。いろいろ見所はありましたが。ええ。


昨日6日はコンブリ団を大阪の南の方まで観に行きました。
豊島さんが出てらしたのに続いて今回が二度目のコンブリ団でした。

前回もそうでしたがはしぐちさんの前説が本当にぼくは好きでですね。
いや、本当は嫌いなのです。
つまり嫉妬してしまうと素直に告白してしまいましょう。劇世界への導入としての「鮮やかさ」がですね。くっそーって思うわけです。
つまりソコが一番の「次元の越えどころ」といいますか。「劇場」と「劇の世界」とが癒着するポイントなんですね。
「枕」の話、それから、お芝居の中にも出てくる「四次元時空」を細かく見て行くことによって見えてくるかもしれない、「こことは違う次元の世界」。
で、そのての話は僕はもう大好物なんです。

なんせ、僕は「四次元演劇」を作りたい!と思っているのですから(笑)

四次元演劇に付いてはですね。あの……朝平さんと豊島さんには少しだけお話ししましたので彼女らに聞いて下さい。
なにしろ、そうなんです。

だからもう、枕からドキドキしてですね。どうなるんだろう?と。朝平サーンって。

で、お芝居が始まって、終わるわけですが、うーん。何か物足りないぁという気持ちは確かにしました。
「符丁」「コード」「スラング」「方言」というものがあります。
どこのどんな集団にでもそれはある。
その「重さ」「切実さ」「重力」。それらを思い切って言いかえるなら「美しさ」でしょうね。
それが薄かったように。思えたのです。
前回拝見したのは「ムイカ」という作品で、おそらくそちらには、その「コード自体の軽薄さ」を支える「デキゴト(原子力爆弾)」が台本で配置されていたのだろうと思うのです。
僕の嫉妬するはしぐちさんの前説で「一年半ぶりの」とおっしゃってましたが、そう言う事もあるのかもしれないなぁって。「劇団」の芝居って暑苦しくってヤダとか言うくせにねぇ……

朝平さんの演技については「伏兵コード」の時と同じだなぁと感じました。
だから、多分、朝平さんの魅力的な側面がソコにあるのかもしれません。複数の演出家がソコを見せたいと思って演出をつけたのですから。僕がソコに気がつけていないだけで。
彼女が目を見開いているのは「そこにあるナニモノをも逃さぬように」です。
毛穴から何から全開にして、モニターしている。そこには強い「生への衝動」を感じます。ネズミとか、ウサギとか。アンテナ張ってないと自分よりも体の大きい捕食者に食べられちゃう。そういうアンテナをびんびんに張っている人。を彼女はとてもうまく表現するのだなぁと、改めて思いました。

「出す」のが得意な女優さん達の中に呼ばれて、「そう言うポジション」をまかされるというのが、自然な流れなのかも知れませんね。

ま、ときには「無理矢理出す」ことも必要で、
ですんで、こう言う駄文の垂れ流しになりましたがご容赦くださいませませ。

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