そこにある事。そこにない事。

kex(京都エクスペリメント)前半戦が終了しました。
「前半戦」というのは僕の中でです。会期としては(うそ、ごめんプログラム数かもしれない)まだ1/3だそうで。
お金と暇があれば通し券を買って全部見たい所ですし、フリンジ企画も見逃せません。そして勿論kex以外にも楽しそうなステージが目白押しの秋の京都なのです。
とりあえずここまで

1チェルフィッチュ「地面と床」
2庭劇団ペニノ「大きなトランク中の箱」
3ビリー・カウィー「Art of Mobement + Dark Rain」

ふー。それぞれの感想等を書こうと思って書き始めましたが、なかなかの仕事量だなと思い、お決まりの「またいつか書こうと思います」
(この記事のタイトル自体は今夜見て来たビリー・カウィーさんの感想を書こうと思って書き始めたわけですが……)

後半戦決まっているのは木ノ下歌舞伎とロラ・アリアス。
kexはこれぐらいにしとかないと、他見に行けないのです。お金がね。ええ。お金ですよ。
金沢旅行の傷はそうそう言えないわけですよ。大概カードで払いましたからね、今月厳しいわけです。そこに来てあなた七五三の写真だとかですね、妹夫婦の出産祝いだとかですね、月末は娘の誕生日だったり、机の次は「棚」を作らなくちゃいけなくなったりだとかですね。

・・・・・

うん。芝居の感想は書くのしんどいけれど、「金がない」って話ならいくらでも書けるな。「得たもの(経験とか)」よりも「失っている状態」についての方が楽に書ける。
「今もっているもの、今もっているという事について」よりも「(かつてあった)今ないもの、今ないということについて」の方が書きやすい。
それはそうか。言葉を書こうとすると、素朴に、「それを説明するによりふさわしい言葉」を選びたいと願う。
「今あるもの」は、確かに手元にあるから、「自分がひねり出した言葉」が「どれほど『それ』を適切に表現しているか?」という事が明確に判断できる。「言葉」と「それ」の差異、距離がはっきりとわかる。多くの場合「うまい言葉や言い回し」は見当たらない。うまく見つける人がいわゆる「モノカキ」なんだろう。
一方「今ないもの」は、手元に無いんだから「それ」と「言葉」との差異、距離は計りにくい。「ふさわしい」というモデルそれ自体の詳細はもう失われてしまっているのだから。漠然と「こんな感じだった」で書き進めていっても、(変な言い方だけど)罪悪感がない。どころか言葉をでっち上げていくことによって、かつてあった何かが又戻ってくるような生き返ってくるような気さえしてくる。

・・・・

と、どうでもいいことについて、結構長文になって来ている。これだけ書けるなら劇の感想書けば良かった。(あと金沢旅行のことも)

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