運動会に思う

組運動会でした。
うちは「南団地」というまとまりなんです。前にも書きましたが、もっそジジババが多い団地なんです。
今日の競技も大半が「棄権」でした。人が集まらないんです。リレーだとか綱引きだとか……

大玉転がしの前、スタンバイエリアに並んでいる時に、野球の格好でウエストポーチをした「カントク(と呼ばれている。多分ここいらの少年野球のカントクをしてはるんだろう)」さんがこんな話をしてくれた。

「僕もよう知らん時のことやけどね、聞かされてたんは、もう、運動会いうたら、『南団地、南団地』やったんやそうやわ。もうその頃は一棟につきバレーボールのチームが一個、ソフトボールのチームも一個ぐらいにパワーがあってね……」

誇張とは言い切れない。南団地は12棟まである。その大半が5階建て。一階につき8世帯なので40世帯だ。団地内で棟対向バレーボール大会が開ける。ふんわりそんな景色を空想してみる。カントクは続ける。

「それがまぁ今やねぇ…。まぁ全部の競技で最下位よ(事実、今年も大玉転がしを除いてそうだった…)その頃の家族がそのまま年取って、子供は出て行くしね。しゃーないけれども。ジジババばっかりになって、孤独死するのはでもあれやね。男やで。」

そこまで話が核心に迫ると思っていなかったので僕は心の準備が出来ていない。腕組みし息をのんだままただ耳を傾ける。

「女の人は、『もうあかん』ってなったときに手ぇあげられるんやね。『助けて』って。でも男はあかんわ。あかん人が多いわ…。気ぃついたら『一週間見てないな』ってなって…」

娘が生まれるって時に越して来たのでもうそろそろ6年になるわけだけれども、その間に何人かの方が亡くなっている。その中にはいわゆる「孤独死」という方もいらっしゃった。
カントクの話を聞いて「うーん」と僕はうなる。うなる以外のことができない。

「つながり」か…と組運動会の日に改めて思う。このテントもトラックの白線引きも、景品の手配から、来賓の挨拶の順番考えたりだとか、全部「となりの(となりの)お父さんかお母さん」がやってるんですよね。体振だ。

でもね。ラジオ体操はやっぱぞっとするんです。気味が悪い。
それぞれの個々に全く違う身体をメンテナンス、ウォームアップするのに、どうして全員が「リズムまで統一された運動」をするのか?

勝手なもんです。
盆踊りで振り付けが揃ってるのは、「なんか良いな」って思うんです。
でもラジオ体操は好きになれません。

地域のつながり。というか隣近所の血流の良さ。言い換えると面倒くさい近所付き合いには肯定的です。

全体主義には吐き気がします。

もうこの辺りのバランスを自分でどうとっていくのか?そしてこれは「自分」だけじゃなくて、僕の奥さんと娘さんとも巻き込んでの事なんですよね…
僕が良くここで書いている「程度問題」というよりはもう「好み」とか「気分」なのかも知れません。でも本当にそうだと思うんです。そうってのは「はっきりとどちらが良い悪い」という識別が出来ない。また「どこからがセーフでどこからがアウト」という線引きも出来ない。

なもんで、僕はその都度判断していくのだろうと思います。今言える事は二点あって、一点目は
「もっと面倒くさい事を引き受けていこう」です。
もう一点はここらへんの問題、「個人と全体」「国と個人」「権利と責任」とか。に、ついて「はっきりと、すぱっとわかりやすく言い切っている人」はやっぱり信用できない、ってことです。そう言う人は単純に考えが足りない(=バカ)なのか、あるいは深謀を秘めているのかどちらかなのですから。

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