こんな稽古をしています。(見学はいつでも可能ですよ。ご連絡くださいね)

正直者.labのお稽古でした。今日のお稽古はなんかとても充実したものに感じられました。
最近、この.labの稽古の流れみたいなモノができ始めて来て、それを、七月に本番をやる方の「正直者の会」。「.lab」がつかない方の稽古にも導入している状況です。どんな感じかってーとですね…

1)適当に体を動かす。ジャンプしたりゆらしたり。
2)適当に体を動かし続ける。伸びたり縮めたり。その中で呼吸を意識して行く。呼吸によって、伸びる筋肉、縮む筋肉。テンションが掛かったり緩まったりする事。その部位。に意識を向ける。息を吸う事、吐く事。そのストロークの長さ。出入りさす空気の量。肺に残っている空気の残量(←これは「高い、低い」と表現する事が多いです)それによって筋肉がどう変化するか?と、その逆、筋肉の状態によって呼吸がどう変わるか?というような事を意識ながら、「呼吸によって促される動き」や「動きによって促される呼吸」を使って体と呼吸とをストレッチして行く。
3)呼吸と(筋肉の)動きが関連づいて来たら、意識を空間へと広げる。とっかかりはやはりまず第一に「位置関係」であり、体の向きだとか、エネルギーの傾斜。そのロケーション。また同期する事や、そこから屹立してフォーカスを取る事など。
「その空間の中に、私を含む皆が、どんな「運動」を持って存在してるか?またどんな「運動をもたらす動機、衝動(つまり未-運動、前-運動)」を持ってそこに居るか?」をモニターし、
→「そのような『空間』の中で自分をどのようにあらしめるか?」考え(?てちゃ遅いので、なんだろ?感じて反応するんですが…苦笑)
→で、そのことによって「その空間」自体をデザインする、構成する一部になる。(決して一人でその空間全ての事柄を決定出来るわけではないし、まただからといって全体に対してその一人のほんの些細な仕草や動きが影響を与えないわけではない。だって彼自体がその空間の一要素なのだから)

こういう「空間と私」、「一部と全部」みたいなもの。その中での動き方動かし方は体でやると比較的分かりやすいのですね。(勿論僕はダンサーでも何でもないので「言葉でやるよりは。」という意味で文字通り比較的わかりやすいということです。「うまく行ったな…」なんて感じられた試しが無いですもの(苦笑)

肝心な事はそう言う感覚を呼吸でも持つこと。です。これは僕のこの数年の課題なのです。「この部屋の空気を、自分が吸い、また自分の体内にあったモノ(空気)を、この部屋へと吐き出す。」こと。そしてそれが「この部屋の一部」を構成し、それはまた他人によって吸い込まれて吐き出されるものである事。「同じ空気を吸って吐いている」想像するとなんだか「間接キッス」みたいでちょっと不潔っぽくもあるけれど(笑)

そこまで行けるとようやく「言葉」との接点ができてくる。
4)声を出していく。あくまで「声を出す事」に意識が集中しすぎないように。「声を出す」となった途端に「どんな声を出すか?」という事ばかりになりがちなのです。「聞く意識」も希薄になりますし、なによりも「吸う意識」が如実に欠落してゆきます。「吸う←→吐く」というサイクルを大事にしたい。(※ここの所はまた改めてここだけクローズアップして書きます。…書きたいです。なぜ大事にしたいのか。しなくてはいけないと僕が考えているのか)「どのように息を吐くか?」は「どのように息を吸ったか」に依存しています。同じように「どのように息を吸うか」は「どんな風にはいたのか?」に影響されます。声を出すということは息を吐くという事です。息を吐く時にちょっとばかし声帯という筋肉を操作することによって「着色された吐息」のことを「声」と呼ぶ。と仮にそうしてみます。というかそうでもしないと言葉と体とをうまく接合出来ないのです。

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3)と4)は前後が逆転する事がありますが、まぁこういう流れで、全員でその日、会場となった稽古場をカラフルに着色していく。声で。立ち位置で。動きで。
粘土をこねるように部屋の空気をこねて混ぜて、いろんなフォルムにしてみる。

ってなことをですね。やっています。
正直、分けわからないんですけどね。
でもやっていてときどき「豊かな時間だなぁ」とため息がでるぐらい素敵な瞬間があります。これは本当。


今日の発見は「呼吸の空気の入れどころ、出所を、『足の裏』とか『左手の薬指』にしてみると、想像しなかった動きが出てくる」ってこと。またそれを「顔の筋肉」に持っていくと、それに連れて「感情」が上下左右に揺さぶられて、そうすると「景色の見え方」が違ってくるから、その時に周りの人を見たりすると、もう一気に「ドラマ」がたちあがっちゃう(!!)こと。

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今日はインプロのゲーム「スピットファイアー」もやってみました。
どんなことかざらっと言いますと(ご存じない方は、僕はインプロの専門家じゃないので鵜呑みにしないでくださいね。またご存知の方は、ははぁん、と鼻で笑ってもらえれば良いです)つまり適当な「ホラ話」を話すわけです。フィクションと言った方が上品ですかね。基本2人組になります。片方がプレイヤー。もう片方が聞き手。聞き手は一つお題を出します。(例えば「銀行へ行く」)プレイヤーは「フィクション」を話し始めます。
P/「今日の昼間ね、僕、銀行に行ったんです。っていうのも、ちょうど財布にお金がなくてですね、お金を下ろそうと思ってたんです。できれば手数料の掛からない明日まで待ちたかったんですけども、…」
(聞き手は、任意のタイミングで任意の「単語」を『放り込み」ます。)
聞/「チョウチョ」
(プレイヤーは、聞き手から放り込まれた単語をできるだけ即座にフィクションに取り込みます)
P/「っていうのも、僕、チョウチョが、大好きで、それで標本を作ってるんですけども、この標本作りってのがことのほかお金が掛かるんですね」
聞/梅干し
p/梅干し、と、ご飯だけで数日間過ごして、食費を浮かしてですね、やっとの事多少お金が貯まって来て、富士山の麓の樹海にだけ生息すると言うチョウチョをね、採集するツアーにいけることになったんですけども




という具合です。
これは実は僕、苦手なんです。でも多分「戯声」とはかなり密接な関係にあるなぁと前から思っていて、で、今日やってみたわけですが、まぁ、楽しいですね。

1)~4)みたいなアップの後、連想ゲームをしてスピットファイアーをして戯声の「二音ゲーム」からより音数を増やしていく。という流れだったのですが、うん。悪くないなぁと思いました。

なにかしら「楽しい事が起こりそう」な気がします。
ただ、それは「楽しい事」ではあっても「作品に直結する」のかどうか?(無責任な言い方ですが)僕にはわかりません。

いや、台本が書けないといういいわけだけじゃないんですよ。本当に。
それが「作品」にならなくても「豊かで素敵な事」は、僕にとって大切だということを改めて感じているのです。

「演劇との幸せなつき合い方」について、もうしばらくだけ考えていたいと願います。

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