呼吸。文体。ツイッター。

落ち着いて書きたい件がいくつかある。が例によっておそらく書かないまま過ぎて行くのだろうと思う。
体罰、暴力に関するブログ、ツイートなどの周りの発信を見ながら、うんうん。とうなずいたりしながら。でも「NHKの世論調査」のニュースなどを見ると、「いかに自分が接している情報が偏っているか」、ツイッターにしても何にしても、たこつぼ化しているかということを考える。僕が大事に思っている事。僕が当たり前だと思っている事。は、当然の事ながら「他の人にとってもそう(当然)である世界」を僕は心地よいと思うのだし、つまり「自分にとって耳障りのいい情報」を自分の周りにかき集める。そうだ。テレビを見なくなってから10年程になるのだな・・・。

奇しくも昨日の「スキルアップコースin高槻」で自分が言っていた事を思い出す。

「呼吸が合っていない、「話者」と「聞く人」とでは、話しが通じない」
これは本当に通じない。というより「聞こえない」のだ。比喩ではない。呼吸のずれている人が話している言葉は
、母国語であっても「聞こえない」のです。デイワークでデイケア施設にお弁当を運ぶ。毎日のように。
施設のドアを開ける。(大概どこも、「脱走」ケアの為、自動ドアなんだけど、センサーを切っている)。
何をするか?そりゃ挨拶です。

「おはよーございまーす」

この時の呼吸です。おじいおばあの呼吸の速度、帯域(ってわかりますかね?ゆったり目のリズムで、肺の下の方で呼吸している感じです)で「おハーヨーございまーす」というと、何人かは向いてくれるんです。返事してくれたり。

逆に、僕の普通の呼吸で「おおきに、おはようございます」と言っても、これは本当に感動するぐらい誰も反応しないんです。

本当にこれは聞こえてないのです。
というのは「自分に向けられた言葉かどうか?」というフィルターではじかれちゃってるんです。

何が書きたかったのだろ・・・?うーん・・・。


自分と違うセンスを持った人達がいます。
その人たちに声をかけたい。言葉を伝えたい。まして説得したりしてみたいと思うなら。

息を合わせようとしてください。そのセンスの違う人と。

主張の意味内容の是非の手前で、「ある同調」が必要なのです。
「ある同調、(例えば呼吸)」というのは「体」としては簡単なんですが「理屈」としては難しいことでなんです。

だからインターネット上のやり取りとかでびっくりする程過激な口調や攻撃的で取りつくしまの無い態度を見ると、「そりゃそうだろう」と思うのです。そこには「体」が無いから。

今更ですがやっぱり思うのは「目の前に、人(誰でもいい)が、存在する。ボンと、そこに立っている座っている」という事を想像して、その上で発される言葉」には常に「同調しよう」というベクトルがある気がします。
だって、それが無いと「通じない」のですから。


20年近く演劇をやって来て、相当残念な事に演劇だけで生活が出来ておらないのですが、
その事が分った事は僕に取って財産です。

本当にその言葉を相手に届けたい。と欲する人は、相手に『息を合わせる」ものです。口調を似せて行くものです。

そうでない自分をみつけたら、多分その言葉は「他人に伝えたい」のではなくて「大声で叫んでみたい」という質のものです。便所ででもカラオケボックスに一人入ってでも思う存分叫べば良いと思います。

息が伝わる距離。
そしてそれぐらい近い距離というのは、もうすでにして「暴力」なんですね。

そうですよ。満員電車を思い浮かべてください。あれは暴力ですよ。誰が誰に対してということはもう複雑過ぎでよくわかりませんが(笑)


えー。
まとまりません。
というかまとめる気もなく書き始めてしまったことを後悔しつつ、作業に戻るとします。おやすみなさい。

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