スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「『この役は私にしかできないよね』って言われるような演技をしなくちゃいけない」という強迫観念

今日はお昼のお仕事がお休みでした。朝から仕事をぱたぱたと片付けてその後スーパー銭湯に行きました。
実にすばらしい。

夜からは稽古。もちろん.labです。
しかしメンバーが入れ替わり立ち代わり風邪ひいて行くのはなんとかならんか(苦笑)

今回のお話は設定が「ふんわり」しているので、ほおっておくと「ふんわり」したままやってしまう。それが落とし穴なんですよね・・・。

ふんわりしたお話の登場人物は、細かいディティールを掘り下げなくてよいわけではなくて、きちんと深く広く細かく練られた「世界」に生息する人物の、「言動」「行動」の表出され方が、たまたまふんわりした切り口であるということにしないとまずいのです。

きゅっと口の締まった壷のように。
見えない、手の届かないその奥に手を伸ばす。「手」ってのはお客様の想像力です。
そのようにあらねばならない。

一筆書きで描かれているような登場人物達を、一筆書きで作るとダメなんです。

しかし元来俳優というものは、台詞がいくら少なくても、そこからどこまででも深くかんがえちゃう物だと思うんですね。
演出家も、作家も「はいはい。もう好きにしはったら良いですよ」というぐらい、どうでもいい(というと語弊があるが)ちょっとした役のちょっとした仕草にでも、やってる本人にしてみたら、それは一大事な訳ですから。
でも、

「『この役は私にしかできないよね』って言われるような演技をしなくちゃいけない」

という強迫観念で俳優をしている人間は実はそんなにいない。そんなに「自分大好き、自分本位」な人は俳優であってもそんなに数が多くはないのですね。
だってこのテーゼにおいて既に重心が「役<自分」なわけですから。

役、世界、へのアプローチの仕方に何か一つの正解があるわけではありません。
が、役、世界を豊かに、色鮮やかに、細かくしていく、きっかけが「自分大好き」であるケースは、まれではありません。自分大好きで自分の価値が高いと思っている人は、台本を渡され、台詞をふられた時に、
「そんな『価値の高い自分』に見合う、『役、世界』」を求めるからです。

そういうの、僕は嫌いではないです。そういうのをうまくいなすのが、なんか良いです(笑)

コメントの投稿

非公開コメント

twitter
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。