分らない事を分らないと言えることのすごさ

昨日、今日とトランク企画のお稽古でした。

いっぱいいっぱいになりながらも、なんとかついて行こうとしております。
今日は稽古場から送り火(大の字、かなり斜めからの角度だったので、「K」に見えてましたが)も見えました。
しばし部屋暗くして写真タイム。その後やったシーンですぐに大文字が出て来たりするのが、即興の良い所の一つだと思います。
IMG_0517.jpg

みえねー・・・


「思惑」と「反射、リアクション」とのバランスは、実は台本があるお芝居でも即興芝居でも「高度なレベルで成立しているケースにおいて」は変わらないのではないか?という仮説を一旦立ててみて、少しでもその状態に本番で近づけるように残り少ない稽古時間を過ごしたいと思っています。

「思惑」と「リアクション」に関してはまた後日。長くなるので。(何度かここにも書いてる話なのです)

以前木村さんが教えてくださいました。インプロにとって重要なこと。

CROW

とは・ ・・・. 物語を作る上で大切な4つの要素. キャラクター[Character]・関係[Relationship]・ 目的[Opportunity](Objective(目的)がどうも正解のようです。訂正)・場所[Where]の事を指します。

だそうです。
これすごい腑に落ちるんですが、その中で敢えて優先順位をつけるのであれば、(僕の、ですよ。僕の気持ち良さとしては)Wの「どこ」です。
それさえ見えてくればなんとかはなる気がします。
俳優ですから、優等生的な答えとしては、

「C(キャラクター)なんてものは、関係の中で他者(観客)が「見いだすもの」であって、俳優個人がそれをどうにかしてやろうなんてことは、論外だ。台本を読み込み、それが成立しうる所に彼、彼女はいる。」

です。
でも即興ですから、「そんな人だった」「そんな人である」という事が、その瞬間呼び寄せる事件、出来事もあるわけです。「その為に」なら「女子高生」にだって「丹下団平」にだってなります。(なぜ、丹下なのかは謎。自分でも)「なにか変わった事をしてみたいから」「目先を変えて、体を変えると、見える景色変わるかも」で、初めても良いのは良いのだろうと。ただ、「その先」。つまり「その事。私がそうである。(という一つのオファーによって、図らずも呼び寄せた某か」という事の方がとてもとても重要だ。という意識は持っていたい。

だから、多分

CROW

を個人的優先順位でならべかえますと

WRCO

かなぁ。
「なぜ、インプロバイザーは関係とキャラクターをわけて考えるのだろう?」
というのは考察を深めても面白いトピックスなのかもしれませんね・・・。まぁ単純にアナグラムにハマったからかもしれませんが(笑)

キャラクターというものは、誰かに「認識」されて初めて存在しえるものです。ある「発露」と考えれば分りやすいでしょうか?つまり「キャラクター」がある所には、必ず、「そのキャラクター」と「そのキャラクターを認識している人(それは観客だけで登場人物でないかもしれないが)」との「関係」があります。

前後関係はよくわかりませんが、僕は「関係」で語る事になれていますし馴染みがあります。
「あの人は、ああいうキャラで・・・」
というような言説を聞くたびに、なんだか、「片手落ち」というか、言い過ぎかもしれませんが「貧しい表現だなぁ」と感じる。

で、目的ですよ。ね。
Opportunity
再び。Objective(目的)。

これが厄介なんです。
これはいわゆる「演技プラン」みたいなものと同じ種類のもんです。つまりこれを僕は「思惑」と表現しているのです。

いわゆる演劇では「台詞を全部覚えて、全部忘れなさい」という事が良く言われます。
そのロジックは長くなるので丁寧に書くのはやっぱりやめますが、なにしろ

「脚本に出てくる「A」という役の人物は、決して「以前覚えた言葉を思い出しながら」話しているわけではない」

という、どうしようもない事情によるものです。
だから、台詞は覚えなきゃならないし、潔癖な事を言えば一字一句間違えない方が良い。でも、「そのAなる人物」を演じようと思えば、「何か覚えた言葉を思い出して、トレースする」という作業では到底追いつかない、表現しきれない。

「リアクション」というのはそういう事です。
何かへの反応として、どうしても「その台詞」を「そのように」発してしまう、体を用意しておく事。
俳優の作業というのは極論すればそういう事です。
全てはリアクションであって、アクションは全く要らない。台詞劇に限った事ではなくてそうなのです。
訳の分からないアバンギャルドな作品であっても、その言葉、言動が「奇をてらった」ものなのか、「僕(お客)には今のところ感知出来ない、世界、世界の在り方に下支えされた、あるリアクション」であるのか。それは明らかに感知出来るものです。「切実さ」というのは僕が松田正隆さんからもらったとても大事なヒントです。

もう酔っぱらってるのでどこでやめても良いのですが・・・・



台詞のあるお芝居では、
「台詞(テキスト)」

「立ち位置(照明の関係とかね)」

「出はけ、段取り」
などを、意識下に一旦追い込んで、
「あるけど、ないって事ね。知ってるけども、知らんってこと」という所に追いやる。理想的に言えば無意識の部分なんだろうけども、それはよくわかんない。体感としては、「もう一人、なんか俯瞰で見てる自分」が良い所なんだが。

で、そっちの「お約束事」はそっちの「僕2」に任せて「僕1」は思いっきり今この場所(といっても、それは戦場だったり、病室だったり、教室だったり、浜辺だったりする。本当は、劇場の平台の上だけれども)を毛穴を全部広げて感じて、反応して行く。
演技プラン、段取りが会ってるのかどうかは、「事後的に」チェックする。

歩きながら、事前に「ここに、右足を置こう」として右足を前に出すのではない。これは違う。
じゃなくて、(歩いている)右足が接地して、前に移動し、体重移動があり、左足が接地して、今度は右足が地面からはがれて行く。まさにその右足の足の裏がはがれた時に(事後的に)
「今まで足を置いていた場所は、ここでよかったっけ?もうちょっと上手ではなかったか?そしてもっと『力強く。踏みしめるように』ではなかったか?」
と事後的にチェックをする。「このまま行くと、ダイブ違った到着地点になるぞ」と予測がつくなら。ルート(最も美しいライン)を外しているなら、「じゃあ、ちょっと修正して行くか・・・」となんとなく軌道修正して行く。

この時の「事後的にチェックする自分」「何となく、軌道修正する自分」が、いわゆる「思惑」であり「僕2」です。
僕1と僕2はパラレルで動いていて、レイヤーとして前面にいるのは僕1です。
割合的には本当に9:1ぐらいです。僕1がほとんど。9割です。反射して反応してる。僕2は1割なんだけど、でもこれ正当な比較ができないとは思います。なんか、その「在り方」は違います。僕2は薄くて割合としては一割なんだけども、でもなんと言うか「下地」というか・・・・
まあ「前提」ですからね。台本があるわけですから(笑)次元が違うんでしょうね。

そうなんですよ。俳優って違う次元にパラレルでいる複数の自分を操作する作業なんです。
多分、武道に通じるものがあるんだと思います。分んないけど。


繰り返しですが、僕2は「無意識」で働いてるぐらいが多分ベストなんじゃないかなぁ・・・・と想像してます。
無意識が分らないので何とも言えませんが。


だから僕がやるべき事は
「目的」を探す事。目的に向かう事。「yes,and」を縦に積む事
を「無意識」にまで落とし込む(事を目指す)事だろうと思うわけです。

上記が現前して、意識化して、主題となってくると、第一に気持ちが悪い(苦笑)
当然本番では、「その気持ち悪さ」を楽しまなくてはならないわけです。
それはそれである正当な在り方だろうと思います。(そこに参加する俳優が僕でなくても良いかもしれないとは思いますが)
「気持ちわりー!」って、正直に笑ってやれば良いのだろうと思います。それしか手はないのだし。それはそれで良い。

そこは担保すべきだと思う。「こうじゃないといけない」という自分で自分を縛る行為がもっとも、観客の立場で見てると、「どうでもいいし、そんな事は」ということだから。

ただ、そこは担保するとして。「うまくいかねー自分たち」をおもしろがれるマインドを大事にしつつも、目標は高くありたいのだな。

・・・・

そこはどこだ?
それだけはっきりしたい。
そうしたらその場所で目の前にいる人をしっかりと感じれば良い。
その人を感じる、接する(関係)の中で、自分がどんなポジション(キャラクター)なのかも感じられるだろう。

で、そのときに、いかにして、そことは別の次元で「目的」「縦に積み上がる」事を押さえておけるか。

ということだろう。
とすれば、僕が普段

「台本を読んで台詞を覚えて台詞を繰る」

というような頻度、濃度で、
「目的を探そう、縦に積み上げよう」
という意識を持たなくてはならんという事じゃないだろうか?

そしてそれは、場数でしかないのじゃないだろうか?

もうやめていいのじゃないだろうか?

????


?ばかりだ・・・・

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