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ハリとコシ

コンタクトインプロビゼーションのワークショップ(僕にとっては三回目)

今日は人数がぐっと多くて結構密度の高い空間でした。
人口密度が高くなると、目線が「自分向き」になりやすい自分を発見。おそらく「こんだけぎょうさん人がいるんだから一人位勝手にしててもばれへんやろう」という単純なことおもう(笑)ま、「勝手なこと」どころかとても大切なことなんですけども、「自分をモニターすること」と同時に「他人をモニターする」「私たちをモニターする」「私たちを含むこの空間をモニターする」というようなことの、「空間」に対してとかもう、諦めちゃうからだろうとも思います。嫌となりとぶつからないか?とかはきになりますけど、部屋全体でどんなだ?ってのはもうファクターが多過ぎて全然無理なんで。

今日もいろいろと面白い発見があり、苦々しい思いをしました。
最後のリフレクションで出て来た話しが面白かったなぁ・・・。
「ハリ」という話し。

ちょっとこれ長くなりそうなんで、又まとめて(って、いつもの書かないパターンだな・・)

備忘にメモ。

「他者」、自分の予期しない行動
が、挟まることによって、あるハリが出る。緊張感と言い換えてもいいが、「(二人の)関係」としてのトイウ意味だけではなく、「個人の体、動き」のレベルでハリがあったと。
それは、ある切実とかリアリティーとか言う問題でもあるだろうと思った。
「会話」にしてみるということから。

前提として、僕は、『私と相手」という「二つの体とその周りの空間」というのものを「一つの構造」として意識できたときに、コンタクトインプロビゼーションは流れるように、自由に、コックリサンみたく動くと思っていて、もちろんできないが、つまり「私」と「あなた」を溶かし込んで、シェアし合って、ある「新しい一つの塊」になることとだろうと考えていた。
ので、「会話にしてみる」というのは全く逆のベクトルのように思えた。そこには「話しかけ」たり「聞いたり」する「相手」がいる。
事実それは逆のベクトルだったのだが、そこには「ハリ」があった。というようなお話。

そうよね。一つの調和した塊だとすれば、「ハリ」は無いかもね。
多分出し入れだとか、あとは意識を高く持てばとか・・・

あぁ、来週で最後か・・・
と思わずに自分で機会をつかめばいいのだけれど・・・

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