落語→巴里本舗(おいしいですよ)→四次元

落語を見てきました
たまごかけ寄席ページです。
桐山さんのやっておられる寄席なのでした。

寄席は文句無く楽しい時間でした。
そう言う時間を作れたこと。その中心に入れたこと。について桐山さんを祝福したいと思うのです。
ありがとう。楽しい時間でした。
出演者の方々も皆さん素敵でした。

とにかく「落語をしている」ということで無条件にリスペクトしてしまうわけです。
「楽器を弾いている」ということに関しても同じく。
昨日のインプロショーに共演されていたのはアコーディオン奏者の「かんのとしこ」さんでした。
きょうは三味線の「はたこうじ」さんです。どちらもお名前が平仮名表記な感じとかも、ね。(なんでしょうか?平仮名でも許される感じとかがもう、ね。平仮名表記の演劇人を僕は許してませんから。ええ。「ごまのはえ」とかね。「胡麻の蝿」だろ?なにを「やわらかくしてやがんだ」とか思いますしね(笑)

どうでもいい。

平仮名表記のけんにかんしてはどうでもいいとして。
純粋に楽しい時間を過ごせてよかったとして。

で、きょうもやはり
倍音
多声的
ということについて考えざるをえない。

創作落語というものもあるそうで、それがどんなものかもわかんないんだが、しかし、基本的に落語の世界も「レパートリー」というものがある。ようだ。そうな。
ごめんなさい。本当に知らないまんまに書いてます。
上方とか、江戸だとか。それ以上にディープな世界があるんでしょうな。
ディープな世界をディープに知る人にとって、今日、「たまごかけ寄席」で書けられていたそれぞれの演目は
「あぁ、あの○○師匠の得意だった奴だねぇ』
だの
「初心者の女の人にはやりやすいネタだろうなあ」
とか。
そういう「過去に行われて来たその演目」と重ね合わせて見る。という楽しみ方もできるものなんでしょう。
そのなかで「あいつはまだまだだ」とか「あいつはこんな解釈をしたのか、おもしろい」だとか「全く違う解釈でそれは許されないだろう』とか。
つまり多声的、倍音的に、今日の落語はあったのだろう。

では、そういう落語の知識、素地を持たない私にとっては、まったく多声的倍音的でなかったか?というとこれがそうではない。ということが、とても面白く、更に考察せねばならん所だと思うのです。
実際僕は、今日聞いたネタを、おそらく以前に聞いたことがないと思うのです。それもよくわかんない位に、落語とは縁遠いのです。
でも、軽薄に告白すると、どのネタも、「なんかどっかで聞いた気がする」のです。
それはとても面白くって。なんでしょうね?何だと思います?
なにしろです。上方だろうが江戸だろうが、そこで話されている言葉がですよ。耳になじんでいない言葉であることは間違いがないのです。
上方だろうが、大阪梅田のセブンイレブンであんな話し方をする店員はいない。nhk大阪のアナウンサーも大阪市の職員もあんな話し方をしない。

つまり、そこで話されていることは
「僕に向かって話されている言葉」ではないのです。
そのことによって僕は
「これは以前に、僕以外の人に向かってはなされたテキストであろう」ということを類推するわけでしょう。
そのネタを聞いている僕以外の誰か。
そのネタを話している、桐山以外の誰か。
その人達がいた場所。を類推しながら、も、今、桐山の話しを聞いている体験。

「演者がいて、お客が居る世界」と「劇世界、話しの中の世界」という単純な二重性ではなくて(それも、もちろんおもしろいとして。・・・いやそんなに面白くもないけれど今となっては)その「二重構造」自体が、ミルフィーユみたく何重にも折り重なっているような直感。(体験もしていないのに)

その四次元的な空間の中に、何かを建築したりしたいのだろうなぁ・・・僕は。

寝よ。

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