足下を見たり遠くを見たりよそ見をしたり

ひさびさに正直者の会の集まりでした。
朝平さん豊島さんと僕。お二方ともお元気そうで良かったです。
次回の公演についてうだうだと僕が話してそれを聞いてもらっている間にずいぶんな時間が過ぎてしまって、声を合わせらたのはほんの少しの時間でしたが、それでも楽しい時間でした。
声を合わせるってのは、あれです、「戯声」の事です。
ちょっと豊島さんが自由過ぎて、デコピンしたくなりましたが(笑)

本当に、即興で出来る位になれば良いのに。でも、その為には「理論」がいるのだな。コード進行だとかに当たるような何か。jazzミュージシャンは必ずドレミファソラシドを理解しているんでしょう。
「崩すべき何か」というところまでいかない。そのレベルよりももっとテマエの「ドレミ」の部分。「こうなったら、どうしてもこうなる」という。原理的な所。
言葉、声について。つまり「戯声」を原理をすこしでもつかまえていかないと、いつまでたっても「やってみました。良かったように思います」ということでとどまってしまう。単発で考えて、「かならず質の低いものなる」という事ではない。し、実際に感覚的に「あーでもないこーでもない」と右往左往してある質のものにしあげていくわけだけれども、あくまで「感覚的」な分、積み重ねということがしにくい。
「感覚的」なのが悪いわけでもないし、「積み重ねていかないと意味が無い」わけでもない。
ひとえに僕は「セッション」したい。うん。で、その為にはもすこし、今の手触りを「記録可能なフォーマット」でつかまえなくちゃいけない。

だから多分、新しい言葉が要る。

うん。なんかやる気がむくむくと・・・・!

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