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クーザ!

素晴らしかった!空いた口が開きっぱなし。
「いやいや。それはせんでもええんと違う?」のオンパレード。
玉乗りon玉乗りの人の肩
とか
縄跳びat綱渡り
とか。
オープニングで掴まれて、そのままラストまで(休憩あり)連れてかれました。
悔やまれるのは娘がビビってしまって前半半分をロビーテントのモニター越しに見たこと(笑)奥さんも。

初映画として、じぃじに連れて行って貰ってた「忍たま乱太郎」を三分持たずに出てきたと聞いていたので、不安視してたのだが的中!神経質なのは僕に似たのか?

半ば無理やり後半は膝の上に座らせる。「帰りたい」「おしっこいきたい」連発。いや、今行ったろう?そうやって前半、うんこに行ったっきりもどってこられなかったんだろ?
(大概こういうケースで夫婦ゲンカになる。もちろん僕はスパルタン)
始まっちまえば、ビビりながらも、ちゃんと拍手して見てはりました。

いやそうこなくっちゃ。なんせ8000円だぜ?大人は12000円。しめて32000円のエンターテイメントを見逃がす手はないぞ。娘よ。でもこういう「人間の小ささ」は似なくていいからな。せいぜい反面教師にするがよろしい。

空気も、やはり僕が昔連れてって貰ってたサーカスとは少し違う。「怪しさ
」とか皆無だし。

でも、
「ぁあ、そうそう。サーカスってこんな感じ」と記憶が呼び戻った所もあった。それは「アーティスト」(とシルクドソレイユでは呼ばれる。僕が幼い頃見たそれは、「芸人」だった。)の拍手をもらう時の表情。その空気。
芸は大したことがないのだが、妙に拍手を貰うのがうまい芸人と言うのがいる。もちろん演目にもよる。空中ブランコみたいに一つ一つの技がくっきりと別れてるものは、その途切れ途切れでポーズをビッと決めてやると、拍手がくる。ずうっと回ってる網の中のバイクだとかは、お客が拍手のタイミングがつかない。それぞれの拍手の大きさは、もちろん今披露した技の凄さに比例するのだが、あの、

ビッっというポーズの取り方。
タイミング。
お客への流し目

など、つまり、その「客に拍手を促すシークエンス」自体が一つの芸であり、そのうまい下手がある。ことだとか。
やっばりそれぞれの芸人が自分の芸にプライド持ってやってるから、
本人にとって「今日は会心のできでしょう!?」なんて時に拍手が薄いと、あれ?という顔を、ばれないようにする。「もっとくれっ!」って追いかける人もいる。ちょっと下手売った芸人でもやっばりポーズは取らんといかんので、その時の微妙な表情だとか。

演目による盛り上がりの違いと言うのは確実にある。それは拍手の量にも反映される。なんかそういう
ブランコ乗りとクマ使いの、勝負
みたいな感じは、すこしだけどシルクドソレイユにも見られた。個人事業主じゃないだろうが、一演目ごとの契約だろうし、体壊したからって、お針こさんで雇ってもらえるかというと、そう言う世界じゃないのだろうし。

ただ、僕の知る昔のサーカス。
お客もはまり入らず、テントはボロく、動物は病気っぼい。
そういうサーカスにはシルクドソレイユにはない手触りのある悲壮があった。次に移動した先の会場では、もうこの人はお払い箱かもしれない。拍手をまばらにしかもらえなかった芸人さんの笑顔の切なさは、当時の僕の心臓をギュッと掴んだのだ。とか言うことを思い出した。

ステージの上で起こることには、常に裏と表がある。楽しいだけだったり、悲しいだけだったりと言うことはない。いつも両論併記で矛盾している。
その盾と戈が、共存できうるもの。
それが「芸」ということなのか。

危ないからやめとけってのに、椅子を10個ほど積み上げた上で、片手で逆立ちしてみる。そんな必要まったくない。危険だ(笑)
だけどやる。
極めて美しく。矛盾をかかえこむ。それを我々が讃えること。拍手すること。
そのことによって、私たちはより大きな矛盾=「人が存在すること」をも讃える。

芸は、人間の存在を讃えるための装置なのかもしれない。

アーティストであるべきか、はたまた芸人職人であるべきか。

父親であるべきだ。と奥さんの目が言っている。そんな長文を携帯で打ってないで娘の相手をしろよと。

それもそうだ。

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