会話3

つまりどういうことかというと・・・

「会話」を「会話」足らしめるのは、そのコンテンツでは(まったく)ない。

ということです。
(彼女となら多分一時間でも二時間でもおしゃべりし続けられるだろうと思う。まぁ実際にはそうはならないのは、僕に用事が出来たりするし、彼女が「会話」よりも「組体操」的な事を好むから)

コンテンツではない

のであれば何か?
それは「相手と話したいという意思」「相手に聞かせたい」「相手の話を聞きたい」ということです。「この人と話をしていたい」というベクトルのみが会話を成立させる。
上の僕と娘の「会話」は、テキストだけ見ると文脈なども破綻しているし、「内容」なんてほとんど何もない。
ただ、
「彼女は「お父ちゃん」に聞いてほしい。」
それだけはびんびん伝わって来る。というかそれ以外にはほとんど意味をなしては伝わって来ない。
僕も僕で、
「私は彼女の話す事を聞いていたい」
その二つが有りさえすれば、会話は成立するのです。極端でなく「内容」なんてなくても。(更に言えば「無い方が」)

・・・・・

「何を話すか」ということはどうでもいい。
「誰に話すか」「誰と話すか」のみが「会話」にとっては重要なのです。

もちろんそれでも僕らは「何か」を話す訳だから、「何を話すのか?」ということは話者にとって「考えなくちゃ行けない事」ではあります。問題は話者の中での、比重の置き方だろうとおもいます。
「何を話すのか?」よりも「誰に話すのか」に重きがある場合、会話は素晴らしくスムーズに進みます。きれいな音楽みたいに。

逆に「誰に話すのか?」よりも「何をはなすのか?」に比重がかかってしまうと大概うまく行きません。
それは「報告」「伝達」に近くなるからです。(更に続く)

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