低調2

今日は昼間の仕事が休み。ビデオを見返したり、ラボの台本をちょこちょこやったり。
あっちに手を出しては、行き詰まり、こっちに手を出してははじき返されしている。

やっぱりなんか低調。
そんなときは好調だった時に書いたものを乗せてみる。好調なときはブログに乗せようと思う文章も何個かいっぺんに出て来て、「又いつか書く事がない時に載せるべ」と、メモに放置してあるのだ。
以下。今の私じゃないノート。

・・・・・

「言葉が降ってくる」ということがある。言葉が天から降ってくるタイミングがある。
コレは本当にある。(台本や小説など文章を書くという作業をされている方々には同意してもらえると思うのだが)
脳医学とかそう言う物からすれば、いろいろと説明は出来るのだろう。無意識、意識含めた領域で同時進行で考えていたアイデア達が、あるタイミングでがちゃがちゃと組み合わさって、数独パズル(わかんないですか?)の最後みたいにバタバタ芋ずる式に「答え」が空白を埋めて行くというような。
又別の説明の仕方もあるとおもう。例えば(これはいやな予測なのだが、そして多分僕にはずっぽし当てはまっているだろうと思う)、私たちは日頃言葉を離している訳だけれども、他人の口癖や口調が、知らぬ間にうつってしまっている。ということはよくある。その人と接する時間にも関係するだろうが、急に先祖帰りするように過去に接点があった人のそれが自分の口を通して出てくることだとか。「最近気がついたら親父の話し方に似て来てるんだよねー」だとか、また「イタコ」もそういうものなんだろう。これを書き言葉に移し替えて考えると、つまり「降ってる」等と思っているけれど、実は誰かの口調がうつっちゃってるだけかもしれないよね。という危惧。

でも当人からするとそれは本当に「降ってくる」という感覚の物で、そう感じてしまうともうその言葉達が「自分の物」では思えなくなってくるのです。自分が考えた言葉ではないような気がし始める。実はコレは当たり前の事です。
「言葉」は誰か大昔の人(達)が考えだしたんです。
日本語も中国語も英語も。僕たちはそれを「サンプリング」する。時折「新語」とかいって、新しい言葉を作ったりしますが、その量は「元からある言葉」とは比較にならない位に少ないし、またそのシステム(運用ルール)自体がほとんど元からある物に依存してるのですから、「言葉が自分の物ではない」という感覚は間違いではないのだろうと思います。むしろ言葉に対してのニュートラルな感覚で、いろんな目くらましがはがれて「言葉」というものと裸で対峙出来た時に感じる感覚が

「なんか自分の言葉じゃないみたい」

ということなのかなぁと思ったりしています。

もちろん、そのような状態の僕が書く(といっても僕はパソコンで「打ってる」のですが)言葉は美しいのかよ?と問われると全く自信はありません。

「降ってくる言葉はすばらしい」ということではなくて、何となく気持ちとしてですね。「降って来た物をなるべくそのまま原稿用紙に書き写してやりたい」とは思うのです。(くどいですが僕パソコンで打つので原稿用紙じゃないんですけどね)
昼間僕は車を運転する仕事をしていて、運転の途中で「降って」来たりすると、嬉しいような悲しいような気持ちになります。なぜかというと、その降って来た言葉はその場で掬ってすぐに原稿用紙に乗せてやらないと、地面に落ちてほこりがついちゃうんです。これも本当です。言葉が降ってくる時。これはだいたいの場合、一気にざっと降ります。「お湿り程度」ということはまずなく、大概集中豪雨的に降ってくるのです。でもこっちは運転してるし書き記すことができない。でも次から次にピカピカ光るきれな言葉は降ってくる。
あとから落ち着いて、タイミングよく掬えなかった言葉を拾い上げると、やっぱりなんか違うんです。「大筋でそうなんだけどなんか違う。」それが語尾なのか単語の順番なのかがわからない。のでいろいろその言葉をいじくっている間に、いつの間にかもう手あかで汚れて、見る影もない。

そんな経験を文章を書く人なら何回かは経験していると思います。

タイミングよく降ってくる言葉を掬ってやりたい。いや「掬う」というよりも、バレーボールのトスのように、なるべく「私の体」を経由しないでそのまま原稿用紙に送ってあげたい。(くどいので止めますが、私はパソコンです)そんな事を感じます。
なるべくホールドしないように。(ホールディングと言う反則がありますよねバレーボールに?なかったか?)
できればトスですらなく、手首をつかって、「ぺしっ」とはたくようにして、上から降って来る言葉を原稿用紙に、・・・・

バレーのアタックとモーションとしては同じですが、あんなに強く叩いたら、言葉はひしゃげてしまうだろうと思うから、やっぱり手首を柔らかく使って、「ペシッ」ぐらいで行ければいいのになぁ。と。

言葉に対してのこんな感覚によって、僕のこれからの演劇活動は支えられるのかもしれない。そんな風に今は考えています。
でも、そのこと自体を「僕の言葉」で人様に伝える事なんてことはやはり無理で、きっとそれは、その人に降ってくる言葉を、その人が優しく受け止めた時に始めて共感してもらえる、伝わる物だろうと思います。

人様の頭の上に言葉を降らす。
そんな事を僕はしたいのかもしれません。


・・・・

♪そんな、時代も、あぁったねと~












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