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新音頭『告白』 について

3月17日に芸術センターで行われる音楽のイベントに出演します。町田康さんの「告白」という小説を出発点に作ってる最中の作品です。チラシに掲載されれいる増田さん(作曲家)の文章が素敵なので転載します。ついでに私のも。

 文字のない時代、言葉とは声だった。
文字が発明されると言葉は、
声を介さずかたちに宿るようになった。
活字・活版印刷が発明されると声はインクの滲みとなり、
いまではさまざまなディスプレイで発光しながら消えていく。
声はいま、どこに在るのだろう。
声 を 記 す 。
文 字 を 声 へ と 還 す。
そ れ を 絶 え 間 な く 繰 り 返 す。
あいだにはノイズがある。
明快な因果のために
それを整理してしまうのではなく、
目と耳、口と手を使って拾い上げていく。
町田康『告白』は河内音頭定番の「河内十人斬り」を題材としている。
『告白』の中で音楽(と、語り物としての声)は文字に定着した。
ここでは物語ることからすこし離れ、新しい「音頭」として
『 告 白 』 を ふ た た び 音 へ と 還 す。

(増田真結)


閉めたはずの蛇口の先についた水滴がじわじわと大きくなってやがてシンクにコッと落ちる。これを私は「演劇だ」と感じる。増田さんは多分「音楽だ」と感じるだろう。演劇と音楽の境界を探すのは無意味だ。私にとって世界は演劇だし、増田さんはあらゆる事象を音楽としても解釈できるのだろう、知らんけど。ほらこうやって文章最後に「知らんけど」を付けると不誠実な奴めと思われるけどそれは逆。これが肝。互いがそれぞれの「知ってる」部分を担当する分業でしかない「コラボレーション」は基本的に退屈だ。しゃにむにパラレルで進行しても情報過多でしんどい。そうはしたくなかった。だから今回我々は誠実に双方「知らんけど」な領域に足を踏み入れました。真っ暗。私が杖を持ち、増田さんが懐中電灯で先を照らし、身を寄せてそろりそろり歩いていく。何が出るか?
(田中遊)

ぜひご覧くださいませ。詳細、チケットご予約は→芸術センターのサイトからどうぞ。
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全国学生演劇祭

自身の出身である京都産業大学の劇団ACTが参加していた「学生演劇祭」を見に行ったのは何年前だろう?多分あれは「全国」ではなくて「京都学生演劇祭」であったのだろうかしら。あの時は木屋町の元立誠小学校で、今回はなんとロームシアター!!すごいなあ。沢さんも橋本さんも男前だなぁと思った。
私が大学の時に演劇部でお芝居を始めたのは四半世紀まえ。大学三回生ぐらいの時の周りの携帯電話(もちろんスマートフォンじゃないですよ。それが発明されるずっと前です)保有率が多分3〜5割程度じゃなかったかしら?ポケベル持ってる人も少なくなかった。私が携帯電話会社と契約したのは大学卒業して1、2年してからだと思う。SNSでもyoutubeでも見ようと思えば見られるし、露出し発信しようと思えばできる今、学生の皆さんはどういうメンタリティーでモチベーションで「舞台演劇」をやってらっしゃるのだろう?興味は尽きない。そうだ、確か前回見に行った時にはちょうと高校のクラス劇に指導に入ってた時期重なっていて、舞台上のお芝居や俳優さんたちを「過去の自分の姿」としてみるか「(指導してきた)高校生たちの未来」として捉えるかによって随分と評価がブレるよなぁ…なんて思っていました。「高校生たちの数年後の未来」として考えるなら「ああ、あんなこともできるようになった!視野が広くなって、表現も豊かになり、技術的にも達者になって…」と、まあ感動することしきりなのですが、「自分が大学生だった頃」と重ねて見てしまうと「だからダメなんだよ」とか「稽古せいや」とか、不満だらけになってしまう。これはもう仕方がないのです。僕みたいな人間は時間が流れると自動的に過去の思い出を美化していきますから、ありもしなかった「演劇にすごく打ち込んでいた自分」とかとの比較をしてしまうのですから手に負えません。でもそんな「うそっこのありもしなかった理想像としての大学生時代の私」と比較しても、「あぁ。かっこいいなぁ」と思えた三作品でした。他のも見れたらよかったんだけどなあ…。
第4回全国学生演劇祭

Aブロック
fooork(名古屋学芸大学)

今日拝見した三作品の中では一番エネルギッシュだったと思う。純粋なカロリー計算でそうなんじゃないかしら?大きく体を動かして声もとても大きかった。各大学、各団体での発表会や、各地方での大会でどんな会場でされているのかわかんないけれど、おそらく今回が一番「ちゃんとした」会場だったのではないかしら?(違うのかもしれない。)「学生演劇の魅力」ってなんだろうか?と考えた時に、まぁやっぱり「若さ」だろうと。それは「エネルギー」だし「声の大きさ」だし「野放図な体力消費」だったり。客席が全部桟敷とか、舞台と客席が近かったり、とにかく狭い会場ならばそれ(エネルギーがもうダイレクトに、いやむしろ増幅されて伝わってくる。ライブハウスでバンドみるみたく。で、その点を考えると「ロームでできた」のはすごいし、素敵だけども、(プロセじゃないにせよ)「学生劇団の良さ」を殺すしつらえではあるわけだ。「エネルギーの高さ」がそのまま「テンションの高さ」にイコールにならない。狭い会場だったら十分に「緊張感」のあるパフォーマンスも、今回のように舞台と客席に距離的、心理的余裕があるところでは必ずしもそうはならないこと。がわかってくれば、またもっと違うやり方が見えてくるかもしれない。いやまぁしかし、そこに持ってきてもうなんというか「知るか!」と。「自分らの今一番美味しいところを出すだけっす!」的なですね。「素材を大事にする板さん」みたいな。なんというかこの人たちは無謀なのではなくてものすご計算してここねらったんやろうなぁ…と思いました。
これは参加のどの団体もそうかもしれないのですが、45分という縛りはきっと「普段と違うルール」なのでしょう。普段の本公演では90〜110分とかやるんじゃないのかなぁ?(あ、これも本当に当てずっぽうだ。僕らの時はそうだったけど、どうなんだろう?最近45分ぐらいの二本立てとかなの?かしら?)
で、そうなったときに「どんなことしよっか?」ってなると思うんですよね。つまり「普段やってること、やりたいことのダイジェスト、濃縮版」にするのか?それとも「ちがう、45分にフィットするフォーマット」の模索にチャレンジするのか?fooorkはどっちだったのだろう?なにせ「学生劇団のお芝居見た!」ってなれた作品でした。「エネルギーの高さ」と、「いろんな景色を見せてやろう」という意気込みみたいなのものかしら。


stereotype(立命館大学)

客席に向かって演者が直接話しかけてくるような箇所が何個かある作りでしたね。冒頭では「これはコントですから笑ってください」「意味とか考えちゃヤですよ」というようなキャプションのようなセリフがあり、最後では「コントなんやから笑えや!」ってなぜか怒られる。という。うーん理不尽(笑)なんかそういうところがいいなあと思いました。結局「コントをしたいのかどうか」も多分よくわからんのですよね。(ってわかったようなことを言うと怒られそうですが)僕は少なくともそうでした。「自分が何を台本に何を書こうとして、どんな舞台を作りたいのか」よくわかってなかった。程度の差はあれ今もまぁそうだとも言えると思います。稽古をして作品を作り上げていく中で「ああ、この作品は、こう言うことなんだ!」と言うことが見えてくる、気づかされる。そう行った視点でみると実に「素直な」というか「飾らない、等身大の」故に「切実な」演劇であったと言えるんじゃないかと思いました。俳優さんたちもみんな多分「芝居するの好きな」兄ちゃんたちなんだろうなと感じました。彼らの中で「笑われる」/「笑わす」ということが未分化であることと、そのことへの居心地の悪さみたいなものがよりなんと言うか【「無意味」だけど「無意味」って言われるとそれはなんか抵抗あるなぁ】という幼さみたいなものの芯を作り、それをどうセンス良い笑いでラッピングするか?というようなトライアルだったのかなあ。もったいないっていうか、いやほんと芝居すりゃいいのにと思った。多分みんな達者だから。「笑わそう」としなくったって、「笑われるような人物(対象)」を的確に演じればいい。いや無論お笑い芸人さんになりたいのなら話は全く違うのだろうけれど


劇団しろちゃん(北海道大学 他)

一番普通に見られて、一番よかった。「高校演劇」というものがイメージとして僕にはあって、それがまっすぐ直線上に延長された「大学演劇」という印象。(これも45分縛りの中で何を選択するか?って所でこれを選んだと言うことなのだろうけれど)配役のバランスがとてもよかった。関西弁の先輩役の方と、日光アレルギーの彼と、その他写真部(サークル?だよね?)のメンバーがなんかよかった。偶然なのかオーディションとかなのかわかんないけど。前の二つが、あまり会話や関係性、感情のやりとりに重きを置いた作品でなかったからよけいにだろうけれど「ああ、ちゃんとやりとりしている。何か(言葉、感情、意味、ステータス)が流通している」と言う光景が素敵に思えた。でもこれは実は本当にそうで、「人と話が通じてる」って奇跡なんですよね。ましてや「心が通いあう」とか。普通そうじゃない。多分彼らの大学でもそうじゃない。このお芝居のようには人間関係は成り立ってない。いやごく部分的にそう言う風に組成されているパートもあるかもしれないけれど、日常の多くの割合の時間を「無関係」だったり「機械的」だったりする関係の中で過ごしてる。
「自分がしゃべている内容を他者が理解してくれて、それに返答をしてくれる」というのは実は演劇のように何回も何回も稽古してようやくスムーズにできることなんじゃないだろうか。稽古場で、俳優同士で、あるいは演出家と、演技や作品について「あーだこーだ」と会話する中で磨かれる作品だなぁと思いました。それって素敵なことだなぁと思いました。アラを挙げるとすればもちょっと俳優の「登退場」に気を配れたら…もっともっと良くなる気がしました。あ、あと音照のきっかけのツメとか…。「アラ」が見えるのは完成度が高かったからでしょうね。


最後、京都公演!!

去年の夏の終わりぐらいだったと思う。正直者の会のホームページで長らくお世話になってきた「yahooジオシティーズ」というサービスが終わるというお知らせメールが届いた。プロバイダー契約者に無料で提供しているサーバーで、うちのホームページを開いてるぶんには十分な容量だったからまったく不便も感じていなかったので、とっても残念だった。そのメールにあった期限「来年の3月まで」つまりもうあと一ヶ月あまりで、どこか別のレンタルサーバーに引っ越さなくてはならない。無論これを機にホームページやめるってことなら契約することもない。どうせ乗り換えるならホームページを新しいデザインにするって選択肢もあるけれど、それほどの熱意は今はない。正直者の会のホームページではなくて他の企画のことで少しいじったワードプレスやwixも実に使い勝手が良かったし、もっといえばyahooからプロバイダー乗り換えたらまた数ヶ月は安くなるんじゃないかしら?などとも考えている。

いずれにせよ今週末の一人芝居が終わってからの話だ。最後、京都全力で務めようと思っている。


正直者の会公演/田中遊ほぼ一人舞台
戯式vol.9

作/演出/出演:田中遊
舞台監督:下野優希(正直者の会.lab)
照明:務川智正
制作:正直者の会、板倉真弓
料金:前売り、当日共2000円
   22歳以下1500円
会場
2月16日(土)15:00 / 19:00
17日(日)13:00 / ※ルーパーWS 15:00
人間座スタジオ(京都)

詳細↓
http://bit.ly/gishiki

ご予約↓
https://www.quartet-online.net/ticket/gishikivol9kyoto  

来週から人間座本番でーす!!(売り切れの会もあります!!)

直前のお知らせになりましてもうしわけございません。
来週本番です。
京都の老舗劇団 人間座の第64回(!)公演「季節外れの長屋の花見」、来週木曜日から本番です。総勢16名の俳優は駆け出しから中堅からベテランから〇〇〇まで。まさに「老若男女」という表現がぴったりかと思います。あっちを立てたたりこっちが立たなかったりセリフが入らなかったり先輩の演技にうっとりしたり…。実にカラフルで豊かな稽古現場です。本番もきっと年末にふさわしく賑やかしい舞台となることでしょう。時は江戸の末期も末期、明治維新さなかの江戸の下町長屋の住人たちが繰り広げるドタバタ劇。落語「長屋の花見」を下敷きとして作られまして、「明治維新」からすれば随分最近に俳優座で上演された作品です。私は官軍、薩摩藩士の「隊長」として登場いたします。もちろんのこと薩摩弁は初挑戦。こんなことなら「せごどん」みとけばよかった。と後悔する間も無く、あっとゆう間に本番がやってきました。是非是非お運びくださいませ。

ご予約は下の情報の「予約サイト」から。
現状

・12/15(土)14時
・12/16(日)14時

の2ステージは完売です。(今後キャンセルなど出るかもですが)

人間座第64回公演
『季節はずれの長屋の花見』
 脚本:吉永 仁郎
 演出:山口 浩章


【上演日時】2018年12月
 13日(木)18時半~
 14日(金)14時~/18時半~
 15日(土)14時~/18時半~
 16日(日)14時~
 ※開場は開演の30分前
 ※満席時はご予約の方優先の入場となります。


【会場】人間座スタジオ
 〒606-0865 京都府京都市左京区下鴨東高木町11


【ご予約】
 TEL&FAX:075-721-4763
 E-Mail:info@ningenza.com
予約サイト:https://www.quartet-online.net/ticket/ningenza64


【料金】
 一般当日 \3,000 一般前売 \2,800
 学生当日 \2,000 学生前売 \1,800
 中高生  \1,000


【CAST】
 菱井 喜美子
 多賀 勝一
 竹橋 団(劇団京芸)
 佐々井 泰子
 前田 愛美
 藤原 大介(劇団飛び道具)
 飯坂 美鶴妃
 図書菅(劇団ZTON)
 西村 花織(劇団しようよ/劇団飛び道具)
 チェサン
 木下 憲史
 柳原 良平(ぬるり組合/ベビー?ピー)
 美女丸(ソキュウ)
 門石 藤矢(劇団ZTON)
 田中 遊(正直者の会)
 酒井 信古


【STAFF】
 演出  :山口 浩章
 演出助手:かづちやえ
 舞台監督:稲荷
 舞台美術:竹内 良亮
 照明  :河口 琢磨
 音響効果:三橋 琢
 衣装  :たかつかな
 制作  :ヒラタユミ

騒動1

八年ぶりに新調したノートパソコンの打鍵音はまるでカスタネットみたいにうるさかった。おかげで寝付きの悪い妻の睡眠環境は更に悪化し、妻の睡眠環境の悪化は、夫婦仲を悪化させ、夫婦仲の悪化は更に夫をパソコン仕事へと向かわせるという絵に描いたような悪循環に我が家は陥りかけている。そんな罪作りなノートブックを駆使して昨夜も私はなんだかんだと作業を進めていた。本当に集中すると自分自身はその「パタパタ」という打鍵音は気にならなくなる。だから余計にタチが悪いのだ。おそらく私は盛大「パタパタ」という音を立てながら作業をしてたことだろう。ようやくその文章を書き終えホッと一息ついた。どのぐらいの時間だろう?1時間かそこらぐらいだろうか?体感では1時間ぐらいかそこらか、と感じたが、実際にどれぐらいの時間なのかわからなかった。時計を見ると十一時前だった。ただ何時何分からその「集中モード」に入ったのかがわからないので結局のところどのぐらいの時間作業をしていたのかはわからなかった。確かこの文章を書き始める前に娘がお風呂に入っていたよな、と私はなぜかそのことだけを思い出した。私が作業している部屋とカーテン一枚隔てた隣の部屋では私の妻が寝ていて、おそらくそこで風呂から上がった娘も寝ているはずだった。だってもう1時間以上も前のことなのだから。彼女が風呂に入っているときには聞こえてくる鼻歌やシャワーの音も聞こえてこない。僕が集中してたものだから娘が風呂から上がってきたことに気がつかなかったのだろう。私は、このまま寝てしまうべきか、もう一つだけ作業を終わらせるべきか悩みながら、ともかく台所に行って水をいっぱい飲もうと思った。台所に行くためには妻と娘が寝ているもう一つの部屋を横切らなくてはならない。カーテンを少しだけ開けると布団にくるまっている妻の姿が見えた。が、娘の姿は見えなかった。

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